黄昏に乾杯
作詞 岡本おさみ 作曲 吉田拓郎
アルバム「歩道橋の上で」
愛の残り火と天才のキャッチボール
「黄昏に乾杯」。考えようによっては、昔のNHKの番組「お達者くらぶ」を思わせそうな、ミもフタもないタイトルかもしれない。岡本おさみの詞だけを読むとそこに綴られている昔の恋人との再会が、ちょっとジジくさい。すまん。
岡本おさみのこの詞がちょっと古びた食材だとする(あのな)と、それを料理長と料理人たちが腕をふるい味わい深く仕上げた逸品料理。それがこの作品という感じがする。
この作品を聴き終わると「「少し黄昏 でも会えてよかった 今は黄昏 また逢えてよかった」のフレーズが実に心地よく、まるで勇気づけられるように自分の中で繰り返されているのに気づく。なんという、おだやかな情感を込めたメロディーなのか、なんという、ぬくもりをもった演奏なのだろうか。「ローリング30」の時の箱根ロックウェルスタジオのミュージシャンたちの料理の腕前をあらためて思わずにいられない。それに何といっても、料理長拓郎の詞に対する咀嚼力と音楽力が光る。
長い年月を経ての恋人の再会。悲喜こもごもいろんな感情が駆け巡る。40代になって、かつての恋人と再会する歌として、石原信一作詞の「僕を呼び出したのは」という名曲がある(「吉田町の唄」所収)。この歌では、二人の傷跡はくっきりと残っていて、昔のこととはいえ、どこかに残り火がわずかにくすぶっている。
他方、R-60の再会のこの詞の場合は、その残り火すらも消えゆく様子を淋しく見守るしかない心のゆれを感ずる。なんて・・・ミもフタもないこと言ってるのは私だ。しかし、決して悔恨ではなく、やさしく、これまで生きてきた誇りのようなものを伴ったポジティブな気持ちが伝わってくる。個人的には、自分が、私生活で懐かしい人たちに会うたびに「今は黄昏、また逢えて良かった」という歌声が頭にこだまするようになった。これは言葉の力というより、メロディーと演奏が、言葉に深い表情と意味合いを与えているのだと思う。
岡本おさみが、吉田拓郎に投げかけたこの「黄昏」という言葉たち。拓郎は言葉の意味を天性の勘で深いところでキャッチしている。なんとも不思議なコンビだ。この二人は、コミュニケーションとか信頼関係とかいうベッタリした関係を拒絶し、お互いにそっぽを向いて勝手にボールを放りながら、それが傍から見ると実に美しいキャッチボールになっている・・実にいみふな関係だ。。
2015.10/11