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誕生日

1985年
作詞 吉田拓郎 作曲 吉田拓郎
アルバム「俺が愛した馬鹿」/アルバム「吉田拓郎 ONE LAST NIGHT IN つま恋」/DVD「85 ONE LAST NIGHT in つま恋」

この彷徨える一本道に

 タイトルは「誕生日」なのに、いきなり冒頭から「祝ってなんかくれるなよ」と来たもんだ。切々と自分の半生を振り返る詩には、どうしようもなく暗い閉塞感が漂う。 時は、1985年、拓郎39歳の誕生日が舞台だろう。当時の拓郎は、「ジョンレノンが死んだ40歳までは歌う」と呪われたように何度も語っていた。その拓郎にとっては、いよいよ最後の歳だ。この歌には、つま恋で歌い納めてステージを去り、第一線を退く悲壮な決意のようなものが滲み出ている。そのために誕生日でありながら、まるで遺言のような歌詞が覗く。
「人生は一本の道だったはず 僕はその道にも迷ったらしい 今どのあたりを歩いているのか さっぱりわからなくなっている・・・」 とは、なんと辛く胸に刺さる詩だろうか。
 この作品が収められたアルバム「俺が愛した馬鹿」は、例の困ったコンピュータの打ち込みレコーディングが始まったアルバムだ。この作品も打ち込みと思われる無機質なビートと演奏が刻まれている。しかし、幸運にも、この作品は、85年のつま恋のライブ・バージョンが残されている。ビデオでは一曲目だ。このふたつを比べてみる。アレンジはほぼ同じながら、ライブバージョンの躍動感あるビート、うねるギター、跳ね回るピアノ・・と生命ある演奏の素晴らしさがわかる。拓郎もそういう演奏の中で、躍動しながら歌っているのがわかる。映像で観ると「後悔がなけりゃDon’t think twice it’s all rightぁぁぁぁぁい」のところで地団駄を踏むようなノリが素晴らしい。私には、何の権限もないが、このつま恋バンドバージョンをもって星4つとさせていただく。
 閉塞感を湛えた「誕生日」から15年後、 拓郎は、同じ誕生日をテーマにしながら正反対の対極にあるような陽気でポップな「いくつになってもHappyBirthday」を発表する。悲しみのトンネルをスコーンと抜けきったような若々しい明るさに満ちた佳曲である。こんなふうに歳をとっていきたい。そして「誕生日」と「いくハピ」を両対極とする大きな「ふり幅」こそが、拓郎のスケールの大きさである。
 さて、かつて笑福亭鶴瓶が、LOVE2に出演しLOVE2な歌のコーナーで拓郎の歌を選んだとき、「・・・『春を待つ手紙』か『誕生日』かどっちを歌おうか、えろう迷いましたわ」とつぶやいた。「自称拓郎ファン」という芸能人の殆どが薄っぺらなファンだが、鶴瓶は、クロウトであることに注意。何の注意だ。

2015.10/11

2015.11/9