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たえなる時に

1991年
作詞 松本隆 作曲 吉田拓郎
アルバム「detente」/アルバム「AGAIN」/DVD「TAKURO YOSHIDA LIVE 2014」

愛でないものはあるはずがない

 アルバム「detente」の1曲目「放浪の唄」の鬱屈した(すまんね)暗めの演奏が終わると、突然、視界がパァっと明るく開けるようにこの曲が始まる。優しく穏やかで余裕に満ちたスケール。風格と爽やかさをあわせもったボーカル。天から何か降ってくるような荘厳さすら漂う。間違いなく傑作のひとつだ。
 「たえなる時」というフレーズがこうして自然に出てくるのは、敬虔なクリスチャンだった母に育てられたからか。しかし、作品全体にみなぎっているのは、拓郎独自の世界のエッセンスそのものだ。
 「夕べ争って砕けた祈りが世界の後ろに落ちて行こうとも」と荒んだ現実を見つめ「今休めばいい その次のために」と優しく懐を広げる。そしてしっかり刻印するように歌われる「愛でないものはあるはずがない」。なんとシンプルで力強いフレーズなのだろう。
 当時、静岡けんみんテレビの自社CMで使用されたが、なんとも地味なタイアップだ。折しも拓郎冬の時代の始まり。この作品は名曲だが、満漢全席で迎えられたというよりは、荒れ地にひっそりと咲いた花のような扱いだった。
 この作品の発表時は、45歳だから45公演という覚悟の91年エイジツアーと重なる。しかし、このツアーの苦労は、公演本数が多かったことではなく、本人も「地方ではボロボロなこともあった」と述懐するほどの集客の厳しさにもあったようだ。
 しかし、それでもこのツアーが気高いステージとして印象に残っているのは、コンサート中盤で披露された「吉田町の唄」そしてラストを飾る「たえなる時に」この二曲の新作があったればこそだと思う。初めて聴く「吉田町」に涙し、「今君はあの人が心から好きですか」がリフレインされるフィナーレ。実に素晴らしいステージだった。
 90年代初頭ファン離れが進み、吉田拓郎の存在が世間から薄れていく冬の時代のことを何度も書いたが、大事なことはそんな時代でも拓郎の音楽のクオリティは決して下がっておらず、このように数多くの名曲名演を残していることだ。
 それにしても不満はある。ひとつはこの曲のPVを拓郎自らが監督になって調子に乗って作ったのだが、安曇野に現れる「ケーシー高峰」。みんな平気だった?この名曲に、そりゃあないぜセニョリータと涙したものだ・・・それは南利明だ。
 もうひとつの不満は、忘れもしない2009年の最後のコンサートツアー。ビッグバンドによる最高の演奏にもかかわらず、本編ではなく、開場直後の閑散とした客席で抜き打ちで歌ってしまうというシークレット・サプライズ。いや、これはサプライズなどではなく、ただの暴挙だろ。私は怒りに目もくらみ歯ぎしりし、相手が拓郎じゃなかったらただじゃおかない・・と身体が震えたが、相手が拓郎じゃなかったら怒る理由もないか。
 2014年のアルバム「AGAIN」でセルフカバーされ。同年のライブでも演奏された。保守的な私は、軽快なアップテンポには、どうもしっくりこないところがあった。スローなオリジナルをアップテンポに変換すると失敗が起きやすいという私の勝手な鉄則があるが、このリメイクは成功していないが、失敗もしていない。それだけこの作品が名曲だからだと思う。それより何よりこの歌が、歌い継がれたことが嬉しい。いろいろあっても、「愛でないでものはあるはずがない」という歌声で荒んだ浮世が照らされることを祈りたい。

2015.11/9