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たどり着いたらいつも雨降り

1972年
作詞 吉田拓郎 作曲 吉田拓郎
アルバム「元気です」/アルバム「みんな大好き」

魂の雨は降りやまない、オイラの旅も終わらない

 多くのロックミュージシャンは異口同音に「フォークは嫌いだったが、吉田拓郎だけは別格で尊敬していた」「拓郎にはロックのスピリットが漲っていた」と熱く語る。そんな多くのロックファンらを唸らせるキッカケとなったのがこの作品だろう。鈴木ヒロミツ率いるモップスによるヒットと相俟って、ロック界に吉田拓郎の才能をあまねく知らしめた。 吉田拓郎を「巨大な音楽の城」とすれば、フォークからの入場門として「イメージの詩」「今日までそして明日から」、アイドルポップからの入場門として「結婚しようよ」、そしてロックからの入場門として、この「たどり着いたらいつも雨降り」がある気がする。実にさまざまな入口が用意されているのが広大深遠なる吉田拓郎の世界だ。

 この作品も、モッブスに始まり、氷室京介、うじきつよし、山崎ハコ、などなどカバー実績は数限りない。歌手ではないが、巨人の名ストッパーだった鹿取義孝投手が試合後のヒーローインタビューで連日登板の感想を聴かれて「♪疲れェ果てて」と歌ったのも忘れられない。
 この原曲はアマチュアの学生時代にダウンタウンズの「好きになったよ女の娘」として発表され、広島では流行し後に西城秀樹も普通に歌番組で歌っていたことがあった。既にその才能は学生時代に十分に開花していたことがうかがえる。
 それを詞だけ変えて、ロックナンバーとして先のモッブスに提供したものだ。私らは聴きなれたからあまり気にしないが「たどり着いたらいつも雨降り そんなことの繰り返し」というフレーズは、人生に深く染み入るキャッチコピーとしても実に秀逸だ。雨や嵐吹き荒れる道すがら、この歌を多くの若者が口ずさんでいたに違いない。まさに魂のスタンダードである。

 さて、残念なのは、本人歌唱の決定版というのが意外に少ないのだ。アルバム「元気です」に収録されているバージョンが良くないというのではないが、カントリーフォーク調でおとなしすぎる。また武部聡志、吉田建らと作ったセルフカバーアルバム「みんな大好き」のバージョンは、演奏がどこか薄く、拓郎の声にも元気がない。
 私が責任もってベストテイクだと推挙するのは、1975年のつま恋のラストステージ。瀬尾一三オーケストラ=ビックバンドの演奏だ。当時ラジオでしか流されず、公式音源化されていないが、モッブスのロックバージョンを基調に、しかもブラスも入った壮大な演奏。その中で拓郎がガラガラ声だけどノリノリで絶唱する。文字通り燃え立つような歌と演奏が、もうたまらん絶品だ。これは公式音源化できないものか。ついでに映像も付けて。
 2003年からのビッグバンド、2006年のつま恋こそ、瀬尾一三のあの時のアレンジと重厚長大なビッグバンドの演奏で完璧公式バージョンを実現する好機と思っていた。また田家秀樹「豊かなる日々」の中の、ドラマー島村英二氏のインタビューで、島村氏がアマチュアの頃からこの曲が大好きなのだが、これだけ拓郎と演奏をともにしながらなぜか一度も演奏したことがないというくだりもあった。これは今しかないと、当時の拓郎のラジオ番組やらFCにせっせとリクエストを書いていたのだが・・・。ご存知のとおり、ファンのリクエストに対して「ありがとう。わかりました。星さん、そんなあなたのご要望にお応えして・・・」という、谷村新司のような人ではない。「そんなに好きか。だったらもったいない。そう簡単には歌ってやるまい。」というのが吉田拓郎である。ああ書いてて腹が立ってきた。なんてヤツだ。おいおい。

 というわけで、心湧きたつ演奏ともう一度出会うまで、どんなに雨が降ろうとも、オイラの旅も終わらないのだ。

2015.8/21