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初夏'76

1986年
作詞 安井かずみ 作曲 吉田拓郎
アルバム「サマルカンド・ブルー」

切り取られた美しき若者たちの情景

 原題は「切り取られた青春」と言うらしい。安井かずみが描く若き日の恋人たちの情景。
「金も未来も何にもなくて、ただそれだけでいいあの頃は・・・」と拓郎は哀しみの漂うボーカルで情感たっぷりに歌う。アルバム「サマルカンド・ブルー」のレコーディングの時のレポート記事によると、この曲で、安井かずみは拓郎のボーカルにしきりに注文を出していた。
 「ねぇ、3年位過去じゃなく、10年位過去の感じで歌って はあと」(※ はあと は原文にありません)。
 こういう注文をする方もする方だが、それにOKと軽く応えて歌ってみせてしまう方も凄い。さすが天才芸術家同志。凡人はすっこんでいるべぇ。レコーディングされたのが86年の初夏だから、その「10年前」ということで「初夏'76」となったのだと思う。初夏・・詞にある「ユリの花」の香りが漂ってきそうだ。
 76年と言えば、安井かずみと加藤和彦が出会い恋に落ちた年だという。当時二人は既に超大物だったから、二人のリアルな思い出話ということではないだろうが、その時の恋に落ちた気分をこの詞でトレースしているのではないかと思う。

    「・・・ガードレールに腰かけて 彼女の姿に見とれてた」の部分が、詞もメロディーもそして拓郎の歌声までもが切ない。その光景が目に浮かぶようだ。
関係ないが、昔、日比谷公園の前の歩道を歩いていたら、ドラマの撮影の待ち時間に、ガードレールにひとり腰かけている木村拓哉に遭遇したことがある。さりげなく腰かけているだけなのに、まるで一幅の絵を観てるようだった。
 安井かずみは、若き日の加藤和彦が、あのスマートな体躯でガードレールに腰かけている絵を思い描いたのだろうか。あるいはウェラのシャンプーで洗髪したストレートの髪をなびかせているジーンズ姿の拓郎を思い描いたのだろうか。どちらも絵になる。ありふれた素材であるガードレール。そこに腰かけて絵になるかどうかで、男は非情にも区分けされるのか。例えば失礼だが、小椋佳とか私あたりがガードレールに腰かけていると道行く人に「どうしました?気分が悪いのですか?」とか心配されそうだ。大きなお世話だ。 ガードレールにさりげなく座り一幅の絵になる。それは天分と若さと鍛錬の果てに限られた男にだけ許されるものに違いない。・・そういう歌ではなかったか。

2015.9/21