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暑中見舞い

1973年
作詞 岡本おさみ 作曲 吉田拓郎
アルバム「伽草子」/アルバム「吉田拓郎 ONE LAST NIGHT IN つま恋」

大人の夏よいつまでも

 「愛する所は君のアパートですか?公園は誰かに見られてるみたいで嫌ですね。」少年の頃に初めて聴いた時、この歌詞が衝撃だった。要するに「君たち どこでヤってますか?」こんな手紙を書くなんてオトナはすげーなぁと感心したものだ。しかし自分がオトナになっても、こんな手紙、貰ったことも、書いてる人にも会ったことが無い。
 そんな不真面目な詞に、ジャカジャカしたやかましい演奏、フザけているような拓郎の歌い方・・・なんかテキトーな曲だなぁと思ったものだ。
 しかし、時間を経てオトナになるにしたがって、この曲の個人的評価はUPしてくる。子どもにはわからない身の置き所のないような普段の生活の哀しみの上にこの歌は立っている。
   「陰口言ってる人もいるでしょうね。長い休暇を取りました」
   「休んでいると落ち着かないってのは、知らぬうちに病んでるんですね」
 例えば職場で夏休みや有休のことを考えるたびに、この歌詞が浮かぶファンは多いだろう。だからこそ、すっぴんで日焼けしながら「とてもよく笑う彼女」が嬉しい気持ちがとてもよくわかるし、「キレイに笑っていたいんです」という詞も胸にしみる。
 やかましいと思った演奏は、今聴いてもとてもポップで、まるで若い鯉が川でピチピチと撥ねているような躍動感がみなぎっている。柳田ヒロのピアノとオルガンが、まるで子犬のように飛びまわってこの演奏を支えていることもわかる。
 いい加減そうに聞こえた拓郎のボーカルは、真夏の日差しの中で、だらけながら、でも嬉しそうにバカンスを満喫している青年の心情を実に豊かに表現している。ああ、拓郎は歌がうまいなぁとあらためて思う。特に、最後の「子どものように 笑えないけれど」のころで微妙に変化するメロディーの心地よさも魅力だ。
 さすがプロは、子どもにはわからない仕事をきちんとしていたのだ。
 この曲は、75年のつま恋、85年のつま恋で、まさに盛夏まっただなかに演奏された。「つま恋のイベント」に行くという行動は、日常の倦む生活からの覚悟ある脱出だったりする。作品と心情的にも重なる。85年は、ライブ盤にも収録され、思い切ったファンキーなアレンジで驚いたが、原曲のパワーはここでも生きていて、あの85年つま恋の灼熱の日とともに残っている。そもそもこの歌自体に焼け付くようなオトナの夏が刻印されているといっていい。

2015.10/10