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外は白い雪の夜

1978年
作詞 松本隆 作曲 吉田拓郎
アルバム「ローリング30」/シングル「春を待つ手紙」/アルバム「TAKURO TOUR 1979」/アルバム「ONLY YOU」/アルバム「王様達のハイキング(IN BUDOKAN)」/アルバム「LIFE」/アルバム「豊かなる一日」/DVD「79 篠島アイランドコンサート/「王様達のハイキング」/「93 TRAVELLIN’ MAN LIVE」/「吉田拓郎LIVE~全部だきしめて」/「 Forever Young 吉田拓郎・かぐや姫 Concert in つま恋2006」/「LIVE2012」/「LIVE2014」

いつもあなたがこの歌を歌ってしまう癖が治らない

 吉田拓郎の代表作にして圧倒的支持があり、ファン内外を問わず知名度と評価が高い逸品だ。「紅白歌合戦」にも臨んだほどの勝負曲だ。結果は「もう、こりごり」だったそうだ(2016.10.27プレスインタビュー)。すまん。観ていた私もこりごりだ。

 1978年の8月、アルバム「ローリング30」をレコーディング中の箱根ロックウェルスタジオで、松本隆が書いた詩に御大が3分間で即興的に曲をつけ、そのままスタジオでレコーディングされたというドラマティックな出自の伝説がある。松本隆は後に御大を「大天才だ。音楽の魂だ。」と述懐する。お願い、もっとあちこちで言って、言って。
 そのレコーディング中のロックウェルスタジオからラジオ番組も生中継され、いちはやくこの作品の生演奏を聴かせてくれた。石川鷹彦、島村英二、徳武弘文、エルトン永田、石山恵三らの「ロックウェルの伝説」チームの演奏である。当時の仮タイトルは「そして誰もいなくなった」。この放送を聴いたファンは、まるでこの作品の出産に立ち会ったようなひときわ深い感慨がある。

 この作品を神曲として涙ながらに愛でるファンは多い。私も異論なき傑作であると思うが、どこまで傑作かについては、ファンによって微妙な温度差があることも事実だ。いや、そんな卑怯な言い方はやめよう。自分は、さほどの傑作とは思わない。
 メロディーも演奏も実に素晴らしいが、その分かれ目は松本隆の詞だと思う。御大も語るように「こんな女性はいない。男が勝手に作った姿なんだよ。」・・・そういう作られたドラマの世界にストレートに共感を持ち感情移入していけるかどうかが分かれ目だ。
 女だからというのでなく、男であれ女であれ「目の前でタバコでサヨナラ文字を作ろうとする人」「シャワーを浴びてきたの悲しいでしょうと相手に告げる人」「自分をきれいな思い出にしてとお願いする人」「いつもパートナーの影を踏んで歩く癖のある関係」って、なーんかヤだな。ベタな悲恋の詞のような気がしてならない。すまん、私のようなひねくれた偏屈ものには感情移入できないのだ。
 松本隆は、即興的に作曲した御大に内心「ホントにそれでいいのかよ、もっと考えろよと思った」と述懐していたが、考えた方がいいのは詞ではなかったのか。どうだ、上から目線もこれくらい上からだと我ながら清々しい(笑)。

 ライブの歴史は長い。アルバムの発売日に、目黒区民センターの小室等の23区コンサートで弾き語りで歌われた。これがライブでの筆卸だ。シャウト気味に歌い、間奏でハーモニカを入れるところもブルースのようでカッチョ良かった。
 そしてアルバム発表の翌年79年のコンサートツアー及び篠島のライブの時から、既にコンサートの重鎮ナンバーとなっていた。但し、ライブのアレンジは原曲とは全く違った。拓郎の絶唱を中心に決然としたピアノと重厚なドラムが印象的なまるで鉄骨造りコンクリート打ちっぱなしの建物のような堅牢なバラードになっている。
 81年のベストアルバム「ONLY YOU」で、拓郎は原曲のボーカルだけをライブっぽく入れ替えた折衷型だが、原曲とライブはまるで細胞分裂したかのごとくライブバージョンが独立して進化・定着していくことになる。
 そしてこの作品は、ライブで歌い上げられていくうちに、歌詞の意味を超越し、歌詞に文句を言う自分をも打ちのめすような荘厳された美しさと圧倒的な迫力を身につけていった。ライブを重ねるごとに、拓郎の絶唱はその演奏とともに練り上げられて磨かきあげられ、まるで黒人霊歌か何かのような神々しさの域にまで至ってしまっている。最後の「席をぉぉ立つのはぁあなたからぁぁ」の前に、島村英二だとドラムロールがドゥルルルルルと入ってからスドンスバンと炸裂するところの迫力のエクスタシーもたまらない。私を含めて聴く者は客席でひたすら制圧されてしまう。

 そんな中で、久しぶりにアルバム「ローリング30」の原曲を聴くと抒情的で、ぬくもりを感じられる木造作りの瀟洒な家のような歌と演奏を再確認する。バイオリンではなくフィドルらしいが、その音色が実に美しい。やはり原曲とライブは離れ離れになっていた双子の兄弟のようだ。別々でありながら表裏一体になって通底している。
 鉄壁のライブ演奏を聴きながら、抒情的な原曲を想い、原曲を聴きながら、ステージで磨き上げられて荘厳に高められたライブ演奏に想いをいたす。原曲⇔ライブの「ループ」の中で味わうとより深い一曲になるのではないか。余計なお世話だが。

2016.11/13