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白い部屋

1981年
作詞 松本隆 作曲 吉田拓郎
アルバム「無人島で」

逃れられないアパシー(無関心)に

 暗く虚無感の漂うこの作品が、アルバム「無人島で・・・」の最後を締めくくる。このアルバム「無人島で・・」のA面は、いずれも拓郎本人の作詞。「この指とまれ」を皮切りに「春を呼べ」「Y」「ファミリー」と実に意気軒昂で盛り上がる名曲群なのだが、B面の松本隆の詞群になると突如失速し、この「白い部屋」で聴き手をどん底に落として終わる。
 この暗さはある種の後ろめたさと繋がっている気がする。「戦争」という忌むべき事件のニュースを前に、何もしない、何もできない後ろめたさ。横須賀に入港するミッドゥエーと入港阻止のデモ隊との衝突のテレビのニュースが気になりながら、虚無感のなかでベッドで抱き合う二人がいる。「愛するより大切なものなんて」と自分に言い聞かせる。
 奇しくも拓郎には同じシチュエーションの詞がいくつかある。「岡山で戦車が運ばれるニュース」の前で食事を続ける岡本おさみの「晩餐」、「ラジオの戦争報道(湾岸戦争報道と思われる)」を聴き、流れる血を頭の片隅に考えながら情事に耽る、石原信一の「裏窓」。 こういう詞が並ぶということは、政治の季節の嵐をくぐり抜けた世代の特徴なのだろうか。
 下の世代は、戦争に反対することも、恋人と愛し合うことも、矛盾しない、むしろひとつのことだとノー天気に思うが、拓郎たちは、実際に戦争反対運動、平和運動が肥大化すると、運動自体によって個人が押しつぶされていくという悲劇を身をもって経験した世代なのではないか。たとえば反戦フォークの神様と祭り上げられた岡林信康が、厳しい突き上げを受け、やがて自縄自縛で歌えなくなくなっていった姿を、松本隆も拓郎も間近で見ていたはずだ。
 特に前作のアルバム「アジアの片隅で」は、社会派な作品として評価を受け、メッセージシンガーとしての拓郎にスポットが当たり過ぎたきらいがあった。「アジアの片隅で」は嘘偽りのない拓郎の叫びだが、アジテーターのような役割を期待されていくのは音楽家の拓郎としては決して本意ではなかったのだろう。「無人島で・・・」は、あえて対極にある心の闇のようなものを歌のテーマとして、バランスをとろうとしたのではないかと推測する。
 昔の人たちの問題のように書いたが、「組織運動」対「個人」。形は違っても実は今の私達にも残り続ける、古くて新しい問題なのかもしれない。
 さて、歌の中「7時のニュース」とあるが拓郎は「しちじ」ではなく「ひちじ」と発音する。拓郎は自著「俺だけダルセーニョ」の中で、みなさんはどっちですか?と問いかけているが、「7月26日未明」が「ひちがつにじゅうろくにちみめい」だったらどうよ。

2015.10/10