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時には詩人のように

1991年
作詞 吉田拓郎 作曲 吉田拓郎   
アルバム「detente」

君住む街へ行くよ


 もしかすると"時には詩人のように"というタイトルは、なかにし礼の"時には娼婦のように"へのオマージュか何かなのだろうか。なかにし礼が書いているこの作品の出自のエピソードには、当時苦境にあったなかにし礼に手を差しのべるフォーライフの青年社長吉田拓郎が登場する。その姿が颯爽として素敵なのでファンには嬉しくまた誇らしい。
 「詩人のように」という言い回しは拓郎のテレというか謙遜だろう。自分は作曲家ではあるが作詞家ではないとどこかで語っていた記憶がある。しかし言うまでもなく吉田拓郎は詩人である。それも素晴らしい詩人であることはこのサイトのいたるところで語っているとおりだ。
"俺は自分で言葉を作ってきた人間だろう。ZUZUから見れば、俺も詩人なわけ。作詞家だっていうわけよ。「そんな詩は私に書けない」" (ブックレットTAKURO 18ページより)"とあるが、まさにそのとおりである。

 詩人が詩人を描くドラマ。主人公の"詩人"は、愛した人のことを切なく思い出しながら独り想い出の街をめぐる。"昨日の風が囁くよ、あの人帰ってこないさと"…愛した人はとうにその街にはいない。いないからこそ街を彷徨ってみるのかもしれない。拓郎の詞は一般的に目の前の人と実際に向きあってその愛憎の距離感を確かめるといういわばリア充系とでもいうべきドラマが多い。この詞のように、ひとりで想い出の街を訪ねてしみじみと愛しい人に思い運ぶ歌はそうは多くない気がする。あるとすれば、"シンシア"、"ペニーインは行かない"、"街へ"…あれ、結構あるじゃないの。すまん。いずれも名曲揃いである。これらの数々の名曲よりはやや影が薄いかもしれないが“愛した人の思い出が綺麗でちょっと辛くなる”というフレーズが小さく光り抒情的な世界が胸にしみる。
 但し個人的には"行こう、行きましょう、駒沢通りから"のサビの部分にちょっと違和感があった。「駒沢通り」って"表参道"等のオーラある場所とは違って微妙な生活感があるのでフレーズとしては詩情に欠けやしないか。ちょっと具体的すぎるのではないかと思っていた。というわけで今回、思い切って現場に行ってみようということで、駒沢通りを何回かにわけてウォーキングしてみた。"現地嫌いな拓郎ファン、フィールドに出てみる"と言う感じである。
 そうしてみると槍が崎の交差点、祐天寺、自由通り、そして目黒、柿の木坂…"今度は一体何回目の引っ越しになるんだろう"などで目にし耳にしたいろんな地名をすりぬけて行くことになる。その場所,場所に吉田拓郎にとって具体的にどういう関係があったのかはわかるワケもない。もちろん詮索もすまい。しかしたぶん想い出がたくさん沁み込んだ通りであり街なのだろうことは察しが付く。こうして街が想い出を包み、街も想い出に包まれる。それは単なる甘美な懐古ではない。切り離すことのできない過去と未来が結びついた永遠の今がそこにあるに違いない。そう思いながら聴くと"君住む街は遠いだろう 今でも愛されているだろう"…ここいらあたりのフレーズがやけに胸にしみてくる。
 このように切なく寂しさを湛えた詞なのだが、同時に何かを振り切り、ゆく手に陽が差してくるような明るい空気も感じる。清々しく前向きな印象すらある。それは、ひとつには快活なメロディ―とアレンジのチカラであるのではないかと思う。
 アルバム"detente"の魅力のひとつは吉田拓郎のアレンジが凝りに凝っているところだと思う。前奏,間奏,後奏に確固とした存在感がある。あり過ぎて本編からやや浮いているのではないかというものもなくはない。しかし総じて味わい深い。この作品もイントロからイキのいいスパニッシュギターがうなりタタミかけてくる。間奏でもこれでもかという展開がある。リリカルなギターというレベルを超えて何かを訴えてくる。切ない思いも、愛しさも、そしてそれでも明日に向って行こうという清々しさも、このギターが余すところなく表現してくれているかのようだ。まさに詩人のようなギター、詩人のようなメロディーである。

2020.2.15