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センチメンタルを超えて

1996年
作詞 石原信一 作曲 吉田拓郎
アルバム「感度良好波高し」/DVD「1996年、秋」

逃れられないセンチメンタル

 この作品が収録されたアルバム「感度良好波高し」はファンの間では印象も人気も薄めのような気がする。ていうかファンじゃない人はそもそも知らんわな。その中でも比較的目立たないこの作品はさらにひっそりと埋もれている。
 外人バンドとのコラボということでは前作のバハマでレコーディングされたアルバム「ロングタイムノーシー」の印象の方が強いし、このアルバム「感度良好波高し」が発表されるとほぼ同時に「LOVELOVEあいしてる」の放送が始まり、ファンも世間も耳目はそっちに一気に向っていってしまった。
 というわけでエアポケットに落ちたように目立たないアルバムなったのかもしれない。しかし好き嫌いは別にしても、このアルバムの拓郎のメロディーはどれも秀逸である。ちょうど拓郎50歳の年のアルバムだが、これだけのメロディーを携えて50歳を飛び越えたことは音楽家として凄いことではないかと思う。ただしその先に待ち受けていたのがあの「LOVELOVEのバブル」という波高い荒海だったのでいろいろと悲喜こもごもありました。なんだそりゃ。
 「センチメンタルを超えて」・・・文字通り、センチメンタルで切ないメロディーが冴える。ひとつひとつの言葉をていねいに愛でるようなデリケートでリリカルなメロディーがたまらない。
 「木漏れ陽の中、見え隠れする海の青さが目に染みて」例えばこの部分などは、詞もメロディーも、なんと美しいのだろうとしみじみ感嘆するばかりだ。映画のシーンのような情景が聴く者の脳裏にも展開する。
 それにしても石原信一のこの詞は深い。いい詞を書くよね、石原信一。恋人か伴侶か、とにかくパートナーの女性から別れを告げられると、男はふと捨ててきた故郷のまぶしい景色を想い、そしてかつて親不孝を尽くして詫びる言葉も言えぬまま亡くなってしまった自分の母を想う。  男が「センチメンタル」になる三大要因は「恋人」「故郷」「母親」であることをこの詞は教えてくれる(女の人はどうなのだろうか)。おそらく拓郎もびったりときたはずだ。
 「センチメンタルを越えて行け」という歌にもメロディーにも「超えて行けそこを!」の力強さはなく、どうしたって越えられやしないよと言う哀愁が滲む。かくして歌う方も聴く方もみんなで「センチ」の池の周りを今日もまわり続けるしかない。どういう結論だ。

2016.2/20