uramado-top

せんこう花火

1972年
作詞 古沢信子 作曲 吉田拓郎
アルバム「元気です」/アルバム「みんな大好き」

 吉田拓郎ほど「夏」を見事に歌い上げた歌手はいない。世の中では、「夏の歌」というとチューブやサザンが定番とされるが、あれは、ヤンキーのにいちゃん、ねぇちゃんの海の家の色恋沙汰をたくさん歌っているだけのことだ。おいおい。
 拓郎の歌には、子どもの頃の夏の風景、そして若者の恋愛、大人の哀愁、憂鬱な酷暑、浜辺の情景、そして亡き人々やヒロシマの犠牲者への祈り、あらゆる夏の情感が、いろいろな眼差しで歌われている。まさに「夏王」は、吉田拓郎なのだ。
 その夏の歌たちをフルコース料理とすれば、小さな箸休めの小鉢のようにこの歌はある。かつてエルトン永田氏がソロライブで「せんこう花火のように短い歌」とピアノでこのメロディーを優しく奏でながらつぶやいた。まさに、そのはかなさを曲のサイズでも表している。    まるで短歌俳句のような短い言葉。「せんこう花火が欲しいんです」「風が吹いていました」「一人で歩いていました」このボソっと記された言葉たち。「死に忘れたトンボが一匹石ころに躓きました」という淡々とした描写。しかしメロディーは、これらのシンプルな言葉とその行間に潜んでいる世界までをも拾い上げて、聴く者の心の中に情感を広げてゆく。そんな拓郎のメロディーの力を思わずにいられない。作詞者にとっても至福なことに違いない。  その作詞者は謎に満ちている。古屋信子とクレジットされることが多いが、吉屋信子というクレジットもあるし、著作権登録では古沢信子となっている。吉屋信子という方は明治生まれの女流作家なので違うかもしれない。それにしても誰なんだ。
弾き語りの定番ではあるものの、そのしっかりとしたメロディーは、バンド演奏によっても十分に映える。アルバム「元気です」を繰り返し聴いた人には、一曲目のポップな「春だったね」に続いてしっとりとした石川鷹彦のマンドリンで始まる「せんこう花火」がセットとして記憶に刻まれているに違いない。
 実は、名盤「ライブ73」も、その本番では、オープニングのあのビッグバンドのロックな「春だったね'73」に続けたメドレーで、そのまま「せんこう花火」へとなだれこんでく。「元気です」が、そのまま重厚なロックに転生したようなコントラストなカッコ良さがもうたまらない。つくづくアウトテイクにしたのは残念だ。
 最近では、2005年のビックバンドのツアーで「流星」とカップリング・メドレーで歌われたのも記憶に新しい。こうして、ひとつの楽曲としての魅力もさることながら、他の楽曲とのコラボでも魅力を発揮する。まさに小ぶりながらワザ師のような名曲である。

2015.11/21