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清流

1997年
作詞 吉田拓郎 作曲 吉田拓郎
アルバム「午後の天気」/DVD「名前のない川」

父と子の間を行きかふ川の流れ

 信州・安曇野の「大王わさび農場」に,人知れず流れ続けている「名前のない川」。この作品は、この川の四季の映像を綴ったDVD「名前のない川」のテーマ曲として作られ収録された。
 もともと安曇野のわさび農場は、91年のアルバム「デタント」の中の名曲「たえなる時に」のPVの舞台となったのが最初だ。このPVは拓郎が監督、カメラマンが押切隆世氏、ケーシー高峰が主演という・・・よくわかんないぜセニョリータな謎のPVだ(だからセニョリータは、南利明だって)この時、拓郎と押切氏が意気投合し、この安曇野を舞台に映像と新曲を作ろうと約束し、3年かかりで実現した。拓郎は「自分と同年代の日本の働き手の人々が,ふと気持ちが和むときに見たり聴いたりできる」ものをということ企図していたという。そのころ「おやじの唄」の愛憎が寛解した「吉田町の唄」で再び胸に刻んだ「亡き父への思い」が浮かんだという。このように「清流」は「たえなる時に」「おやじの唄」「吉田町の唄」との深いつながりの中にある。また安曇野のわさび農場は、後に「月夜のカヌー」のジャケット写真にも使われた。
 一言、一言、父親への思いをゆっくりと確かめるように歌われる歌。かつて「泣きたいくらいに酷い人」と歌ったその人に膝まづき「あなたの家族でいたことを誇りに思える」ようになる。この変化にはおそらく時の流れがあるのだが、この背反する二つの思いは、最初から背中合わせにあった同根のものに違いない。
 あらゆる意地や気負いから無防備に心を開くまさに清流のような歌に勇気づけられる。そして清らかな安曇野の四季。石川鷹彦の音楽とギター。拓郎本人のナレーション。それぞれが見事に溶け合った地味ながら至極の映像作品となった。特に個人的には曲のラストで、少しズボンの裾を気にしながら川を一人歩いていく拓郎の後姿が万感胸に迫り涙を誘う。泣くとこじゃないかもしれないが。ジャズの名曲「煙が目にしみる」に「泣いてるんじゃない、煙が目にしみただけさ」とあるが、さしづめ「泣いてるんじゃない わさびが目にしみただけさ」というところか。
 拓郎の人生の振り返る2004年の「この貴重なる物語ツアー」のオープニングで使用されて驚いたことも記憶に新しい。そして今回、2012年のアルバム「午後の天気」にも収録されることとなった。原曲よりもポップなアレンジになっているが原曲と単純比較できない。「午後の天気」バージョンには歌にも演奏にも確かな鼓動と躍動感がある。この作品を安曇野の映像からも、2004年のツアーからも解放し、「父へ」の思いを歌った一個の楽曲として独立して歩かせたいという拓郎の意思があるのかもしれない。勘繰りすぎか。または原曲のままだと「慕情」と雰囲気がかぶってしまうからか。いずれにしても幻だった作品が私達の手元にやってきたことが嬉しい。

2015.12/5