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されど私の人生は

1971年
作詞 斉藤哲夫 作曲 斉藤哲夫
アルバム「よしだたくろうオンステージ ともだち」/アルバム「TAKURO TOUR 1979」/ビデオ・DVD「吉田拓郎つま恋コンサート」/ビデオ・DVD「吉田拓郎アイランドコン サート1979」

誰が作ったのかなんて、もうどうでもいいのさ

 この作品は、フォーク歌手斉藤哲夫の作品を拓郎がカバーしたのだが、拓郎の作だと思い込んでいる人は未だに多い。拓郎の作じゃないことは知ってるが、もういいや拓郎の曲で、と思っている人々をいれると圧倒的多数だ。どういう数え方だ。

 1971年2月に発表された斉藤哲夫の曲を拓郎が71年春のマンスリー・コンサートでカバーし、名盤「おんすてーじ”ともだち”」に収録され、広く長く拓郎の作品のように歴史に刻まれることとなった。後年、斉藤哲夫は、1980年に一斉を風靡した宮崎美子出演のミノルタのCM曲「今の君はピカピカに光って」でヒットを飛ばしたが、今まで拓郎の印税で生きてきたが、これでやっと自分の本人歌唱で印税が入ると、この時の歓びを語っていたこともあった。
 それにしても若き哲学者といわれた斉藤哲夫、実に18歳のときの作品である。老成してたんだなぁ。斉藤哲夫の歌い方は、先の見えない悩める苦悩の中で、どこか屈折した感じが滲む。そこがまたイイ。それに対して、拓郎の歌い方は、迷いの中を突き進むような力強い気骨を感じる。既に71年のカバー時点から原曲とは変化球と直球ストレートくらい趣を異にしている。
 以後、拓郎のステージでは、長らく弾き語りの定番曲として演奏されることが多かったが、この弾き語りの決定版は、なんといっても1975年のつま恋の2ndステージのラストだ。松任谷グループの演奏が終わりメンバーが引き上げた後、ひとりステージに残った拓郎が、この曲で6万人の観客と対峙する。つま恋屈指の名シーンだ。1対6万の恐怖を振り切るような大絶唱は圧巻だ。拓郎は「何度映像を観ても、自分でもよくやったと思える」と語っていた。
 さて、その弾き語りの偉業から4年後の79年の篠島のイベント(及び直前の春ツアーも)では、意表をつくバンド・バージョンが披露された。篠島のDVDにもレコードにも残される。島村英二のズドンという砲撃のようなドラムに、ジェイク・コンセプションの地の底から湧いてくるようなサックスがこれでもかと力強くうねる。これに張り合うような青山徹のギター。そして何より、この演奏を凌駕しリードする拓郎のボーカルの迫力と言ったらない。絶品のシャウトである。ステージの最初の方でこんなに絶唱してしまって大丈夫なのかと心配になるほどの張りのある咆哮が聴衆を打ちのめす。いや、むしろライブの最初の方で歌って、観客どもを制圧するつもりだったのかもしれない。こういうのを聴くと拓郎は、実にものすごいボーカリストであることをあらためて思うのだ。
 斉藤哲夫の原曲が自転車だとすると、借りた自転車に拓郎が原動機をつけたのが弾き語りバージョン、このバンド・バージョンはさらに改造してエンジンをつけてハーレーダビッドソンのように強固に装甲している感じだ。今さらハーレーを自転車にして返せませんというわけで、斉藤哲夫さん、申し訳ないが、この曲は拓郎の作ということで、あきらめてはくれまいか。そういうところから友人関係というものが・・・・おい。とにかく稀代の名曲に感謝。

2015.9/21