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さらば

1978年
作詞 阿久悠 作曲 吉田拓郎  歌 清水健太郎
シングル「さらば」

前略 傷だらけの名曲なワケで

 

 失恋レストラン、健太郎カットで一世を風靡した清水健太郎への提供曲である。1978年9月発売の提供曲だがそこにたどり着くまでには苦難の歴史がある。
 1975年ころ、作詞藤公之介、作曲吉田拓郎で「うるわしのかんばせ」という作品がショーケンこと萩原健一に提供されることになった。詳細は不明だが、これをショーケンが拒否してお蔵入りとなった。そして代わりにこの詞に森田公一がメロディーをつけて萩原健一が歌い「美わしのかんばせ」は、アルバム「惚れた」の一曲として世に出た。つまり御大のメロディーだけが憂き目を見てお蔵入りしたことになる。ショーケンの拒否の理由は諸説あるが真相はわからない。素人の下種勘だが、結局ショーケンは吉田拓郎が気に入らなかったのだと思う。ルックスの良さ、爆発的人気、傍若無人、そして音楽家としての天賦の才能と全てを持っている御大の存在そのものが面白くなかったのだと私は確信に近い推察をする。
 御大は、オールナイトニッポンで、御大が歌唱している自作のデモテープを流し、これが幻の作品の唯一貴重な音源となった。

    君うるわしの かんばせを
    わが枕辺に 近づけて
    熱き唇 重ねよや
    時うつろいて 過ぎぬまに
    花紅に 萌ゆるとき
    いまひたすらの 愛の中

 哀愁に満ちて心に染み入るようなメロディー。文語調の艶やかな詩世界に御大のこのメロディーが静かに溶け合うような傑作なのに残念至極である。

 やがて、時は流れ1978年、このお蔵入りしていた御大のメロディーに、作詞家阿久悠が詞をつけ「さらば」という作品として蘇り、清水健太郎に提供されようやく陽の目を見たのがこの作品である。清水健太郎は、当時人気があったのでチャートインも果たした。原詩とは異なるが阿久悠の詞も秀逸だった。

    我をはればまた傷がふえ
    身をひけば見る夢もなく
    ・・・あのひとは今 しあわせか

 これでスタンダードとして世に残ろう・・・と喜んだのも束の間、今度はあろうことか今度は、歌手ご本人が”お蔵入り”という前代未聞の事態になったのだった。激動の時を経て清水健太郎氏は今も音楽活動を続けているが、この「さらば」は歌われているのだろうか。あの歌はいましあわせか。このように数奇な運命に翻弄され、歴史の片隅に静かにある作品だ。
 それからさらに月日は流れ、1995年だったと思う。ユーミンのオールナイトニッポンで草野マサムネがゲストの時だった。"少年の頃に出会った忘れられないメロディー"というコーナーがあって、草野君は、この「さらば」を取り上げたのだった。
 哀愁を見事に表現したメロディーと歌声が鮮烈に心に残っていると絶賛していた、ユーミンも「ああ、拓郎さんの曲なんだねぇ」と応じて、聴いてる私も心の底から嬉しかった。この作品の不遇の歴史を思うと暗い雲の切れ間から光が一条刺したようだった。これに限らず、草野君は、拓郎のメロディーを高く評価していていろいろなところで応援してくれる感心な青年だ。彼が名曲「思い出に変わるまで」は♪春だったね にインスパイアされて作ったと公言しているのも有名な話だ。草野マサムネ君に深謝したい。”チワワ”でも"スピッツ"でも応援するぞ。おい。

 ゆくあてのない名曲とはまさにこの作品のことである。  

2016.11/23