30年前のフィクション
作詞 森雪之丞 作曲 吉田拓郎
アルバム「176.5」
御大というノンフィクションがいる限り今も昔
「30年前のフィクション」っていつだ。この作品が発表されたのは1990年1月のアルバム「176.5」だから、その時からさかのぼって30年前・・つまり1960年ころの時代から見れば、1990年の世界はまるでSFのようだと言うお話がモチーフになっている。そんなこと言っている間に、2010年代も半ばの現在からみれば、1990年がさらに30年前になってしまいそうな時の流れの勢いだ。実際に詞の中の「混戦した電話」「ファックス」・・・今のメール時代からみれば隔世の感がある。しかしこの詞が刻むのは、未来の技術が進むほど人々の心はどんどん荒廃していく哀しみだ。そして、どんなに進んだ未来になろうとも「僕たちは愚かに恋をする」「失恋の涙を止める錠剤はない」というテーマは今にもしっかり通じている。ついでに「政治で儲けるペテン師たち」も残念ながら今も元気だ。
このユニークな詞は森雪之丞の手になる。この時以前から拓郎曰く「オカマの作詞家雪之丞」とは古い付き合いだったようだが、拓郎と本格的に作品を組んだのはこの「176.5」初めてだ。もちろんかつて「僕笑っちゃいます」「六月の花嫁」などのアイドルの提供曲での顔合わせはあった。しかし、森雪之丞は健筆をふるうものの、このアルバムの中では、「俺を許してくれ」「車を降りた時から」「しのび逢い」など拓郎自身の作詞がダントツで輝いており、森雪乃丞の詞は不運にもあまり目だたない結果となった。しかし実に洗練された言葉で独特の世界を紡いでいる。例えば松本隆の詞世界よりは、少しやさぐれてデカダンな香りのするところが魅力だ。
詞の話が先行したが、メロディーと歌も、なんつうか、これといった個性がないが=おいおい=それでも曲全体にあふれるのびやかな心地よさはなんだろう。肩ひじ張らない、オーソドックスな拓郎節で出来上がっている安定感がいいのではないか。ちょうど喫茶店で食べるナポリタンのような安心感だ。って喫茶店もそろそろ何十年前かのフィクションなのか。
少し悲しいのは、この作品の入ったアルバム「176.5」は、前記のとおり1990年の発売・・・あわや30年前になってしまいそうな作品なのに、私なんぞは「ワリと最近の新しいアルバム」という感覚でいる。ああ、時の流れを悔やむじゃないぞ。いずれにしても、何年経とうと、どんなにテクノロジーが進もうとも、やはり生身の拓郎に対して僕らは愚かに恋を続けるし、時に文句を言いつつファンであることを止める錠剤もない。
2015.10/10