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淋しき街

1995年
作詞 吉田拓郎 作曲 吉田拓郎
アルバム「Long time no see」/DVD「吉田拓郎 101st Live 02.10.30」

姉のいないTOKYOを見つめて

「わけもなくTOKYO」。95年発表のアルバム「ロングタイムノーシー」所収のこの曲の歌詞カードの冒頭には、故安井かずみのフレーズから借りた言葉であると添え書きがしてある。
 かつて加藤和彦・安井かずみとのアルバム「サマルカンド・ブルー」のレコーディングの時に、安井かずみの作詞の「わけもなくTOKYO」という一曲がアウトテイクとなって表に出ることなく消えた。安井かずみの亡後、このフレーズを拓郎が使って蘇生させたのが、この作品だ。また、拓郎と旧知のコシノジュンコの対談で(「お喋り道楽」)、コシノジュンコは拓郎とともに安井かずみを偲びながら、「わけもなくTOKYO・・・ってZUZUのフレーズが独特よね」としみじみと語った。これがアウトテイクの作品のことなのか、別の時のフレーズなのかはわからないところだ。  この詞には90年代初頭の冬の時代の拓郎の寂寥とした心境がよく表れている。「僕についてもう話さないで 少しばかり疾しさを感じ 裏切りの気持ちも抱いているから・・・・」
 当時、拓郎は、個人事務所宇田川オフィスも閉め、マネージャーもなく、自分の自宅で仕事のファックスを受けていたという。世間からは確実に過去の人としてフェイドアウトしようとしていたし、それでも残ったファンは相変わらず「昔の彼」を求める。「君が求めているのは僕じゃない 僕は何かの代わりになれやしない」・・・・どうしようもない閉塞感、孤独感だったのではないか。そんな中で東京で姉のように慕っていた安井かずみの言葉が浮かんだのではないか。しかも亡くなって日は浅かった。追悼の意味もあったのかもしれない。
 また、先のアルバム「サマルカンド・ブルー」のプロモーションの時に、落合恵子のラジオに出たことがあった。ここでも古くから信頼関係ある落合恵子に心を許すようなホンネを語っていたのが忘れられない。
   「仕事もそんなにしたくないし、田舎(広島)もいいなと思ってるんだよ。オフクロも死んだし、アネキとだったら一緒に暮らせるかなって気もして・・・」
 この作品も「振り切ってこの街を出て行こう」と締めくくる。拓郎にとって、東京はあくまでもアウェー。戦場というか仕事場に寝泊まりしているような感覚がどこかにある気がしてならない。もう自分は戦場であり仕事場であるTOKYOにいなくてもいいのではないか・・・そんな疲弊した心境が覗いていた。
 そんな孤独な心境の時、拓郎が心を許し、よすがとなるのは、ヒロシマの実姉を始め、安井かずみ、落合恵子、コシノジュンコらの年上女性が多い。また本作とは絡まないが「浅川マキ」という存在もあった。これは「母性」ならぬ「姉性」ではないか。拓郎はこの「姉性」によって育まれ、それが拓郎の大切な要素になっている気がする。2009年のステージのMCで拓郎は「姉には200歳まで生きてもらわないと」と冗談ぽく語ったが切実な本音だ。
 この詞のとおり東京という街を出て、逗子方面まで転居した拓郎は、この作品の後にてLOVE2によるスターダム復帰によって東京という戦場兼仕事場に戻ってくることになる。しかし相変わらず淋しき街であることは変わらないのだろうか。心寄せた「姉」のような安井かずみへの思慕と孤独な自分の狭間に立ち尽くすような作品だ。

2015.10/10