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RONIN

1986年
作詞 吉田拓郎 作曲 吉田拓郎
シングル「ジャスト・ア・RONIN」/アルバム「Sound track 幕末青春グラフティRONIN 坂本龍馬」

映画より出でて映画を超えし

 ご存じ御大が高杉晋作役で出演した「幕末青春グラフティ RONIN 坂本龍馬」(1985年)の主題歌である。いや主題歌はA面の「ジャスト・ア・RONIN」でB面のこちらは挿入歌というべきか。武田鉄矢扮する坂本龍馬が故郷の友人たちの訃報に涙を流すシーンで効果的に使用された。それだけで後にステージでも一切演奏されていない。厳密にいうとSATETOツアーの「うのひと夏by高杉」の前奏にキーボードのメロディーが流れるのだがそれだけだ。今やスタンダードと化した「ジャスト・ア・RONIN」と比べて不遇なる扱いなれど個人的にこの作品は御大の作品群の中で上位を争う超神曲であると確信している。
 いきなり冒頭の「あの人の柔ぁぁ肌に」の艶のあるのびやかなボーカルの素晴らしさにつかまってしまう。声の美しさと御大の歌のうまさが全編に横溢している。そのうえに歌詞、メロディーが一丸のカタマリになって突き上げてくる重厚な大作だ。もしかするとつま恋85の壮大な成果物なのかもしれない。
 世にある小説・映画・ドラマなど幕末関連の作品の多くが、新しい世を求めて戦う男の美しさとかロマンを描いている。しかし御大の詞のトーンはどこか違う。戦う男たちへの鼓舞激励の言葉は出てこない。わが友の喜怒哀楽と苦悲に心がゆれている、それだけでいい。この国のはかなさや苛立ちすら静かに眺めていれば、それでいいと歌う。そこには戦いへのアジテーションが全くない。むしろ争いや戦いから、一刻も早く若者たちを解放してやりたい。そういう願いに貫かれている。その究極のエッセンスは中盤のブリッジ部分に凝縮している。

   愛に飢えた獣のように牙をむかないで
   今日からおまえの心はおまえ自身のものだ
   今日からおまえの心はおまえの身体に戻るさ
   もう争わないで、もう戦わないで
   そう自由の風に酔え そうすべてを解き放て

 御大は戦乱で疲弊したであろうひとりひとりの若者たちに対してどこまでも深くやさしく語りかけるのだ。「愛に飢えた獣」。村上龍の「気ままにいい夜」で「愛に飢えた人が一攫千金ねらうよね」「僕は溢れる愛の中で育った」との言葉が思い出される。愛の中に自分の心を蘇生させること。それこそが真の自由なのだという御大の人間観が静かに力強くこめられている。
 高杉晋作は平和な世の中に生まれたら詩人になっていたに違いないと言われる。この映画の高杉は横暴でやんちゃな面ばかりが目立つ作りになってしまっているのが何とも残念だが、この作品には、そんな高杉晋作の詩人性と御大の資質がきちんとシンクロしている。高杉晋作の詩人の魂が舞い降りたかのような御大のこの詞が素晴らしい。武田鉄矢には怒られるかもしれないが映画死すとも主題歌死せず。この挿入歌と主題歌を生んだことだけで十分に意味がある映画だったのではないか。
 武田鉄矢もカバーしているが最初にドンパチの効果音があっていきなり気分が落ちる。最後に原曲にない「いく度も夢を見て、いく度も夢破れ、いく度も地に倒れ、いく度も泣いたのだ それでも己の愚かしさを捨てたりしない」という詞が付加されているが、これは御大の詞なのか、武田のものなのか、どっちだろう。私はこの金八臭のする詞は武田の手になるものだと思うが。だとしたら余計だ。そういえば映画のプロモ対談で武田鉄矢は御大に、この作品で「拓郎さん、なんで『RONIN』を歌詞のど真ん中に持って来たんですか?」と尋ねたところ「どこに持ってこうが俺の勝手だろ!」と切り返したのも忘れられない(笑)。

 ともかく映画の挿入歌として放置されるべき作品ではない。後半の「RONIN」のリフレインで御大がシャウトするところを聴いていると、いてもたってもいられなくなる。これはステージ映えする壮大な作品だ。ああ、ステージで聴きたい、一緒に唱和したい。ついでに「あがらい」か「あらがい」か「あがない」それとも別の何かなのか、そこもクリアに歌ってほしい。「愛」も「平和」も「祈り」もとても薄っぺらな言葉になりつつあるけれども、この作品は、御大の骨太な愛と平和への祈りで堅牢に出来上がっている大作だ。

2016.7/2