乱行
作詞 吉田拓郎 作曲 吉田拓郎
アルバム「大いなる人」
青年社長、風の街を行く
「らんこう」と読むが、国語辞典的には「らんぎょう」と読み、お坊さんの荒っぽい修行のことを意味するようだ。もちろん修行や悟りとこの作品はおよそ関係ないだろう。ズンチャカズンチャカとややコミカルに始まる陽気なこの作品のどこにも修行や悟りは欠片も見えない。
「風の街」である。原宿なのかどうかはわからないが、都会のお祭り騒ぎの「風の街」を一人歩きながら御大が歌う。ポップで陽気な曲調からもミュージカル仕立てのプロモビデオが似合いそうだ。
しかし「風の街」でありながらこの作品は「バーボンを抱いている」あの作品とも「懐かしすぎる友達や人に言えない悲しみさえ運んでしまう」あの作品とも違う。主人公は、成熟した大人だ。もう少し言えばサクセスしたバブリー香さえする大人である。御大のこの作品での視点は、もはやジーンズを穿いた若者ではなく、社長として会社を率いる青年実業家のそれになっている。酸いも甘いも、そして天国も地獄も経てエスタブリッシュされた御大が「大人には子どもにわからぬ世界」と経験とゆとりを漂わせながら街を行くのだ。
御大はかつて「いつでも広島へ帰ろう」と思っていたと若き日の心境を語っていた。気にくわなければ東京なんて足蹴にして広島に帰るんだからという気分だったという。しかし、どうなんだろう、社長になって会社と社員の生活を背負ってしまうと、さすがに「帰ります」とは軽々には言えない。この都会で生きていく決意を固めたのではないか。「寂しいよ、むなしいよ それでも都会が好きだ」という詞には、都会に根をおろす覚悟が滲んでいる。
とはいえサクセスした大人の男のゆとりと味わいは、どうしても私のようなファンには共感しにくいところだ。特に発表同時、若造だった自分には違和感アリアリの作品だった。それでも今になって聴きなおしてそれなりに味わい深く感じる。「誰もがひとり」のリフレインも心切ない。ひとつにはポップな楽曲としての品質の安定感とでもいうのだろうか、とりわけ鈴木茂のアレンジの完成度の高さが作品を支えているからではないかと思う。
ライブでは79年の篠島で歌われて以来ご無沙汰だ。過去を振り返るときは、青年実業家時代の「風の街」ではなくやはり、あの若き時代の意気軒高な「風の街」に自然と思いは運ばれて行ってしまうからだろう。
2016.6/11