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レールが鳴ると僕達は旅がしたくなる

1991年
作詞 吉田拓郎 作曲 吉田拓郎   
アルバム「detente」

吉田の世界の車窓から


 吉田拓郎自らが「旅」を描く。それがどうした?と言われるかもしれない。確かに旅人である岡本おさみの詞が多いことから、吉田拓郎=旅というイメージが確立している。しかし実際にはご本人は列車も旅も嫌いだと公言して憚らない。典型的なインドア派で、家にいるのが一番好きだとことあるごとに言っている。その吉田拓郎自らがこのような電車のレールに誘われるような旅の詞を書くのはレアなことだと思う。この当時、旅嫌いだった拓郎が旅というものを見直そうという意識の変化があったことが窺える。

 「旅が楽しいんだよね。車の中から景色を見ていると 満更いいとこがあるんだなって」
                   (コンサートパンフレット detente 吉田拓郎インタビューより)
 またマガジンT no.11,16ページでは、デタントのプロモーションで札幌に行った拓郎が「新幹線は自分がどこを走っているかわからない、つまらん列車だ」と呟いて、わざわざ札幌から東京まで在来線を乗り継ぎして12時間かけて東京で帰るという信じられない様子が記されている。
 こんなふうに拓郎には敢えて旅に出て違う景色を楽しもうという意欲が感じられた。その気持ちがおそらく45歳で45本のコンサートというエイジツアーのスピリットとなっているのだろう。この当時の吉田拓郎は既にどちらかというと「めんどくさい」「飽きた」「もう疲れた」というご隠居モードに少しずつ進みつつあったので、45本のツアーには超絶驚いたものだ。これを聴いた井上陽水が腰を抜かして驚いたという話もあったほどだ。もしかすると彷徨える時代に旅に出れば何かがみつかるかもしれないという自分を焚きつけるような気持ちもあったのだろうか。とにかく異例の旅シフトのなかに誕生した唄だった。
 1番と2番は旅する若者の姿を描く。それは実際の旅と人生の旅がシンクロされているのだが、その向こう見ずな若々しい美しさと激しさを讃えている。胸たぎるような言葉がならぶ。

   波にきらめく若者は まばゆいほどに輝いて
   若い命を身にまとい 歴史と戦う夢を見る

 それは若き日の自分の姿でもあるのだろう。そしてその若さを反射するように3番からは、長年人生という旅を続けてきた現在の我が身に振り返りこれからの旅路を思う。

   記憶にやどる陽炎は 線路の彼方に 今もある
   電車がレ-ルを鳴らすたび 僕達は旅に出たくなる

 座禅し瞑想していた人がすっくと立ちあがって歩き出す感じの荘厳な旅を感じる。旅が好きか嫌いかということはあっても、彼が紆余曲折の旅を続けてくれたればこそ今があるのである。そんなことを思う。
 作品の構成としてはシンプルで短いメロディ―が繰り返したたみかけてくる。しかし決して単調には感じない。”イメージの詩”や”暮らし”など同形態の作品が魂に刷り込まれているファンにとってはかえって煽情的ですらある。しかもアルバム"detente"特有の凝ったアレンジ。ここでは実に勇壮な演奏が印象的だ。おかげでこのアルバムの中では、意気揚々とした前向きで清々しい印象の一曲になっている。アルバムのプロモーションビデオにもなり、エイジツアーではテーマ曲のように歌われたがそれ以後はご無沙汰している。
 それから30年近く経ち、レールの旅は吉田拓郎にとっては残念ながらハードルが高くなってしまった。それにつれてこの歌も静かに眠りについてしまったかのようだが、どうだろう。おそらく旅の放浪の精神は今も変わらないだろうし、2019年には10年ぶりの新幹線で浜松、名古屋に。そして秋には広島への旅を果たした。そして2020年には大阪へ向けての狼煙もあがりつつある。レールと魂の旅は再び燃え上がるのだろうか。

  電車がレ-ルを鳴らすたび 僕らは旅をしたくなる
  もう一度だってこの道を 進んで行くに違いない

 この最後のダメ押しが嬉しい。これを聴いているとどうしたって僕らも旅をしたくなるというものだ。

2020.2/15