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プロポーズ

1972年
作詞 岡本おさみ 作曲 吉田拓郎
アルバム「よしだたくろうオンステージ第二集」

夕焼けの美しい時はいつも淋しいのだ

 「朗読」である。同じオンステージ第二集にある「私の生まれたとき」も同様だ。昔は、コレを聴いた時、曲をつけるのがメンドーだったのかと思っていたが、こういうのは「ポエトリー・リーディング」というミュージシャンのひとつの作品スタイルなとのだと後に知った。すまん。
 そういえばバックのギターは実に美しいメロディーを奏でているから、決してメロディーの手を惜しんだわけではないだろう。当たり前だ。拓郎の得意技のひとつのようで、その後、74年にラジオ番組に浅田美代子が初出演したときに、彼女に花酔曲の詞を朗読させ、ポエトリー・リーディングを試みていた。・・まったく。
 この「プロポーズ」という詞は、岡本おさみの手になる珠玉の小品だ。おそらくは放送作家時代にノートに書き連ねていた初期作品のひとつと思われる。初期なだけあって、岡本おさみの詞には、若さと瑞々しさを感じる。屈折も身構えもない若き岡本おさみの純粋な魂の片りんを感じることができる。その後の、やさぐれた旅ジジイのような詞ではない。すんません。
 美しい結晶のような言葉たち。その後の岡本作品のコアが覗ける気がする。岡本の言葉=拓郎の言葉というように両者には深い通底がある。人間同士はわからないが、言葉のレベルでは、2人は不即不離の一体となっている部分がある。このような拓郎の深い共感が、この言葉の美しさと崇高さを感じ取り、まるで言葉を真綿で大切にくるむようなポエトリー・リーディングのカタチにしただと思う。
 「およそ 争いを嫌う腕」「飾られそうになるとつぐむ言葉」「鍛えられるのを嫌う 柔らかい筋肉」という言葉の繊細な美しさがたまらない。その後、「戦う男」「喧嘩男」の象徴のように祭り上げられ崇拝されてきた拓郎でもあるが、この作品に象徴されるように「筋肉系・暴力系」とは根本的に異質の感性の人であることがわかる。

 「夕暮れに置いてきた優しい言葉のすべて」・・・「子供に」の「夕焼けの美しい時はいつも淋しいだろう」という言葉が浮かぶ。そして「夕暮れに置いてきたたくさんの優しい言葉」たちが、やがて御大のメロディーを得て、私たちを含めてたくさんの人々を救うことになる。その萌芽がまさにここにある。
 「いくにちも いくにちも 陽が射した唄の音(ね)」・・・何十年と経ち、陽が差してきた2人の膨大な唄たちを思いながら、かみしめると何とも含蓄の深い言葉である。

2016.1/17