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ポーの歌

1972年
作詞 花岡としみ 作曲 浜口庫之助
アルバム「よしだたくろうオンステージ第二集」

みんな夢の中

 1971年8月、渋谷のジャンジャンでの3日間連続コンサートの模様を御大の知人のカンドリ氏が録音した音源。これが御大のCBSソニー移籍後の72年12月、突如、エレックから「たくろうオンステージ第二集」として、無断でレコード発売され、御大が激怒する事件が起きた。しかも、ジャケット写真が裏返しだったり、満足な歌詞カードやクレジット表記もない粗製盤だった。なので、公式盤といってよいのかどうか問題がある。しかし、店頭で公然と頒布されてライブレコードとして流通したので、ファンの間では、出自の問題はともかく「御大のアルバム」としてカウントされている。この「ポーの唄」はその中の一曲である。緑の自然の香りのする、のどかなラブソングとしてファンに愛されていた。私も、中学の時、加代ちゃんのことが好きな男子に”♪加代ちゃんと一緒じゃなーポポポのポ~”とからかって遊んだものだ。なんと平和な時代だったのか。

 そんなこんなのうちに79年3月、突如として読売新聞の夕刊に「吉田拓郎が盗作」というデカイ記事が載って世の中を震撼させた。いや世の中はわからんが、私はかなり震撼させられた。「ポーの歌」は、吉田拓郎作詞・作曲として発表されているが、これは「おいらはポーッ」(作詞:花岡としみ、作曲:浜口庫之助、歌:飯田久彦)の盗作であると喧伝されていた。そして記事の最後には、この作品だけではなくそもそも「吉田拓郎の創作活動に疑問がある」と結んであった。というわけで小心者の高校生は食事も喉に通らなくなった(爆)。
 御大は、その翌週の「セイヤング」の生放送でつとめて冷静にわかりやすく事情を説明してくれた。御大は、高校の時、ラジオで聴いて面白いなと思っていた飯田久彦さんのこの曲をジャンジャンのコンサートでで他人の作品としてカバーしただけであって、その録音をエレックが権利も確認しないまま勝手に発売し、どうせ作詞・作曲吉田拓郎だろうということでいろんなところにも表記され、そのまま著作者として登録されてしまった。つまりは「登録ミス」ということであった。実際に、オンステージ二集が無断で発売されるずっと前に、御大は、この時のライブ音源をパックインミュージックで流して、「これは"おいらはポー"と言う歌で、昔聴いて好きだった他人の歌を思い出してカバーしたもの」と番組内で説明している証拠テープも出てきた。御大の盗作でないことは瞬時に明らかになった。
 アルバムにするにしても普通の手順を踏めば、御大を交えて事前に権利関係を確認してレコードを作ったはずであり、こんなことにはならなかった。著作権も知らず、印税システムすらなかったアングラ会社の杜撰さに端を発した悲劇だった。とはいえ「登録ミス」というならまだしも「盗作」である。それも天下の読売新聞、首相のお考えが詳しく書いてあるほどの大新聞が「盗作」と喧伝したことに、御大のマスコミへの怒りは止まらなかった。話すうちにその熱度が徐々に高まり、やがて金沢事件や離婚事件の時のマスコミ不信にまで話は及び頂点に達し、書きっぱなしで売らんかなという姿勢のマスコミは「人間としてあさましい」と痛罵した。これに対して、翌週の週刊プレイボーイには、「見苦しい言い訳で、またも男を下げた吉田拓郎」という反撃のような記事が出た。御大がかつて、マスコミから受けた傷は癒えておらず、マスコミの拓郎への怨恨も決して消尽してはいなかったのだ。

 泥沼のバトル再燃かと思われたそんな中、某週刊誌のインタビューに作曲者の浜口庫之助さんが「吉田拓郎くんのような才能のある人がそんなことをするはずがない」と明答した記事が載った。これが事実上の終結宣言だったのではないか。ハマクラさんの言葉は心の底から嬉しかった。ただの一般Pの私ではあるが、浜口庫之助の名前は、この言葉とともに私の心の中に刻まれた。
 「ぷらいべえと」の"夜霧よ今夜も有難う"を挙げるまでもなく、御大がハマクラさんを敬愛していたことは有名だったし、この二人の音楽にはどこか同じDNAを感じることもいろんな方が指摘していた。最近になって泉谷しげるが、吉田拓郎の凄いところは、先輩の音楽家への敬意がきちんとしているところだと語った。反逆児のような姿は表向きで、音楽家の諸先輩に対してのレスペクトがきちんとしているところが凄いと語った。そして先輩音楽家も吉田拓郎とその才を愛していた。浜口庫之助さんしかり、小林亜星さんしかり、筒美京平しかり、渡辺晋しかり。そしてポーを歌った飯田久彦によって、フォーライフからインペリアル、そしてエイベックスへと移籍する御大であることも意味深い。既製の体制に反逆したとか革命児だったとか勇ましい言葉に隠れてしまうが、すぐれた音楽家と御大との深い信頼関係はきちんと見据えておく必要がある。
 御大は、その年の篠島で、少しテレながら、「ポーの歌」、おっと違うか「おいらはポー」を笑顔で歌ってくれた。当たり前だが、著作権はそれ自身のためにあるのではなく、ゆたかな音楽と音楽家たちを守るためのツールにすぎない。かくしてあの陽だまりのようなあたたかな歌は、いつもと変わらぬたたずまいで静かに生き続けている。浜口庫之助さんの音楽の素晴らしさは、今も御大によって語り継がれている。この世界のすべての加代ちゃんと加代ちゃんが好きな人々のためにこの歌を捧げたい。私には何の権限も無いが。

2017.8/8