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ペニーレインへは行かない

1984年
作詞 吉田拓郎 作曲 吉田拓郎
シングル『旧友再会フォーエバーヤング』/アルバム『FOREVER YOUNG』

さらばペニーレイン、見えない明日へのエクソダス

 「ペニーレインでバーボン」が超絶なインパクトであるがゆえに、「ペニーレインへは行かない」というタイトルは、かなりショッキングだ。これに匹敵するのは、「ティファニーでは食べられない」くらいのものだろう。もういいよ。
 言うまでもないがこの作品は、単に「ペニーレイン」という店や原宿という街との別れだけを歌っているのではない。私が、店員が失礼なので「○○屋東口店」にもう行かないと言っているのとはワケが違う。「ペニーレイン」は、「吉田拓郎」と「その作り上げた時代」そのものだ。そのすべてとの別れを決した心情を歌い上げた歌である。「ペニーレインでバーボン」の発表から実に10年間が過ぎていた。
 電話(ダイヤル式だぁぁ)が刻む、日付をこえる時報音と歩調を合わせるように刻まれるおごそかなリズム。美しくもやるせない曲調が、ゆったりとすすんでいくなかで、「別れ」が丁寧につづられていく。「ビートルズ」が出てくるのは、吉田拓郎の代名詞ともなった「ペニーレイン」をビートルズにお返しするかのように聴こえる。
 「激しさに身を任す時は終わった」「もう僕達は眠った方がいい」「バーボンをあおっても分かってもらえない切なさが残るだけ」疲れ果てた男の姿がある。翌85年のつま恋での活動休止へと繋がっていく心情に違いない。
 そして大きな別れでありながら、「どうしてこんなに悲しくないんだろう」と結ぶ。この作品は、ココがポイントなんだと当時拓郎は語っていた。この時の拓郎の真意は今もってわからない。しかし、すべてに嫌気がさしていたことは伝わってくるし、あの頃の拓郎とファンを覆っていたある種の重苦しい空気も憶えている。
 このころ吉田拓郎は、自分が「シンガー」ではなく「イベンター」であることを求められることの苦痛をよく語っていた。吉田拓郎に「熱狂」と「カリスマ」を求めつづけるファン、そして世間、その期待を拒否しつづける拓郎。極端な話、ラブソングを歌っただけで堕落したと叩かれる空気。
    今想えば、拓郎はただひたすら自由に音楽をしたかっただけなのかもしれない。拓郎にとってそういう多くのファンの姿は「クレーマー集団」に思えただろうし、多くのファンはまた拓郎を「堕落していく神様」のように不満をもって眺めていた。
 このようなファンや周囲との思いがすれ違い、すれ違うだけでなく思いが入り乱れてどうしようもない佃煮状態になっていた80年代中盤近く、拓郎はとことん疲弊していたのではないか。
 この作品は、愛惜たっぷりの「悲しい別れ」ではなく、どうしようもない状況からの脱出=エクソダスの唄だったのだと推測する。

 この歌のステージでの初演は、84年のコンサートツアー。85年つま恋前の最後のツアーとなる。観ているときは感じなかったが、曲順が「ペニーレインでバーボン」→「大阪行きは何番ホーム」→「ペニーレインへは行かない」となっている。若き日の意気軒昂な唄につづいて人生の有為転変が歌われ、そしてペニーレインという想い出の場所からの脱出と別れが歌われる。うーん。実に、見事で実に意味深い曲順ではないかと感じ入る。

 しかし、この「脱出」は、御大の想ったようには、うまくは成功せずにその後もいろいろな意味で混沌とした苦難は続く。その後、脱出は成功したのか、それはいつなのかは、よくわからない。わからないのだが、2006年のつま恋で意表を突いて「ペニーレインでバーボン」が歌われた時、あの元気みなぎる快活な御大の姿を見ていると、映像から「脱出成功」と大きなテロップが浮かんでくるような気がする。もちろん気のせいだが。

2015.8/21