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パラレル

1986年
作詞 安井かずみ 作曲 加藤和彦
アルバム「サマルカンド・ブルー」/アルバム「豊かなる一日」/DVD「89 TAKURO YOSHIDA in BIG EGG」/DVD TAKURO & his BIG GROUP with SEO 2005

ひとりぼっちの平行線

 1986年秋にアルバム「サマルカンドブルー」のプロモーションのために拓郎がラジオ番組(文化放送「ちょっと待ってマンデー」)に出演したとき、パーソナリティの落合恵子から「パラレル・・・って男と女の交わらない話ってこと?」と尋ねられた。「えっ、あっ、そういうことです、たぶん」と例によってテキトー感を漂わせて答えた。85年のつま恋で一線を退いた拓郎には、全体に隠居臭が漂っていた。この時も、落合恵子に心を許したのだろう、「加藤和彦から頼まれて歌っただけで、もう仕事したくないし、広島に帰るのもいいかなと思っている」という心情を吐露していたのが印象的だった。
 しかし、だからといって決して、ゆるーく作られた作品ではない。「俺の夢からおまえが出て行く 自由を選んだお前が出て行く」これは出色のフレーズだ。男と女に横たわる距離を見事な情景に描きあげる安井かずみ。ハードでドラマチックなメロディーで構成する加藤和彦。それらのすべてが「最後のライオン」である拓郎のボーカルにと収斂していく。
 当時のリーフレット「TAKURO」は、このアルバムのメイキングでの三人の格闘を垣間見せてくれる。プロモビデオにもスタジオの様子が一瞬映る。例えば、「まるぅぅで見知らぬ人」のところで、最初拓郎は、「まるで見知ぃぃぃらぬ人」と歌う。この歌い方を「変だ」と断ずる加藤と、「それがいいんだ」という安井かずみの意見が衝突する。拓郎のボーカルという素材をどのように引き立たせていくかの格闘が覗く。  個人的には、後半の間奏での高中正義の澄み渡った空に昇っていくような爽快ギターの後に、「時が経てばわかることでも」という拓郎の硬質のボーカルの切り込んでくる流れがたまらない。
 その後、隠居生活(?)に見切りをつけ、音楽戦線に復帰した拓郎にとって、この作品は、ステージを引っ張る強力な武器として多用される。SATETOツアー(88)の本編ラスト、ひまわりツアー(89)、人間なんてツアー(89-90)と定番の位置を獲得する。但し、この時は、レコードの原曲とは質感は同じだがアレンジがかなり異なっていた。
 1995年の外人バンドのツアー時に、原曲アレンジに戻される。そして原曲アレンジのまま、瀬尾一三とビッグバンド時代にも重用された。ここではビッグバンドでのスケールメリットを生かした装甲感がたまらない。このビッグバンド時代には、演奏されるたびごとに、この作品が磨き上げられていった感じがする。どんどんパワーアップしてミュージシャンのソウルが高まっていく様子が、例えば坪倉唯子のステージでのノリを超えた狂い方を観ていてもわかる。
 さて、加藤和彦は、90年代に自らの提供曲のセルフカバーアルバムを準備していたが、安井かずみの病気で頓挫したらしい。その中には、「パラレル」もリストアップされていた。加藤和彦は、セルフカバーであるが、もともと自分の歌バージョンが先にあって、それを拓郎がカバーしてこうなった・・・・という年代色をつけたいと語っていた。なんとも深いこだわりだ。拓郎バージョンの壮大な完成を観た加藤和彦は、原点方向に向かって走ろうとしたのかもしれない。もし音源が残っているなら是非聴かせてほしい。
 この作品に限ったことではないが、この歌が「ライオン」に熱唱されている時には、間違いなく今でも安井かずみと加藤和彦の二人が、この歌の中で、あざやかに生き続けている。ニューヨークのパワーステーションで制作中の三人のスナップショットが自然に浮かぶ。そんなとき、余計なお世話だろうが、これを歌っている時の拓郎の心象をふと思ってみる。

2015.12/5