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おやじの唄

1972年
作詞 吉田拓郎 作曲 吉田拓郎
シングル「旅の宿」

いつか父さんみたいにヒドイ人に

 1972年の拓郎の大ヒットシングル「旅の宿」のB面に収められた。当時のことは推測するしかないが、流行気分で「旅の宿」を買って、このB面によって拓郎ファンとなった人も多いのではないか。いわゆるツカミはA面「旅の宿」だったが、オチたのはB面という、・・・警察の取調か。落涙必至の名曲。ここから、吉田拓郎はB面こそ名曲であるというB面伝説がスタートしたことは間違いない。
 しかし父親を歌った歌はこの世に数あれど、ここまで父親を悪罵し、そして聴く人をも愛憎の嵐に巻き込む歌はあるまい。「泣きたいくらいにひどい人」「裏切り」「疑い」悪口の限りを尽くしながら、「おやじがすべてだなんて言いませんよ。僕一人でやったことだってたくさんありましたよ。」というリフレインが最後近くには「誰だって一人でできることくらいありますよね」と転換する絶妙さ。そして「おやじは誰にも見られずに死んでいきましたよ」という愛憎の逆転。「死んでやっと僕の胸を熱くさせましたよ」と締めくくる。その切々とした心情表現においても、作品としての展開・構成としても実に見事だ。なんつうかあらためてソングライティングの天才だよなぁ。情念のこもった迫力のボーカルとあいまって、これぞ絶品だ。他人の父親のことながら胸こみあげて落涙必須のこの作品。
 父親・正広氏が亡くなった知らせを聴き、一人暮らしの部屋で亡父の分の盃も置いて呑みながらこの曲を作ったという。亡くなってから何日も立たず、当時パーソナリティを務めていたパックインミュージックで父親の死の報告とともに初披露した。
 最低の家庭人、大陸浪人、インチキ作家など拓郎の悪罵の言葉は限りないが、深い深い愛情に根差していることは私なんぞが言うまでもない。かつて拓郎が松山千春を嫌いな理由として「アイツは人前で、恥ずかしげもなく自分の父親をほめたたえ、『おやじとオレは親友だ』とかいう。そんなやつは信じられない。」と語っていたことを思い出す。
 そうはいっても「拓郎、誕生日のプレゼントは買えないが、いつかデパートごと買ってやるというホラ吹き話」「父親が鹿児島の仕事場の同僚に風呂敷に入ったLPをそっとあけて『息子がこんなくだらないことやってて』と恥ずかしそうに言ってた話」などなど拓郎とその周囲から洩れ聴く話はどれも胸を打つ。
 その少しねじれた愛情が、やがて「吉田町の唄」や「清流」をも生む。「清流」では拓郎はその父の前に跪くのだ。私たちは「おやじの唄」の愛憎が、時間の流れの中で、いかに深い愛であったかを、これらの作品を聴くことで経験することができる。田家秀樹が喝破したように、吉田拓郎は、まさに「男の一生」を身をもって歌っているのだ。
 それにしても、弾き語り曲のイメージの強いこの「おやじの唄」を2004年のビッグバンドで演奏してくれたときは少し驚いた。父に対する豪勢な法要の意味もあったのではないかと思ったりもする。とにかく、いろんな意味でファンにも嬉しい再演、よくぞここで歌ってくれたという感じだ。

2015.10/3