王様達のハイキング
作詞 吉田拓郎 作曲 吉田拓郎
アルバム「王様達のハイキング(IN BUDOKAN)」
どけ、どけ、どけ王様達のお通りだ
「王様達のハイキング」。これはひとつの作品のタイトルにとどまらず、伝説となった1982年のコンサートツアーのタイトルであり、そのライブ・アルバムのタイトルでもあり、またこの頃の拓郎とその最強バンドのパフォーマンスの総称であったりもする。
もはや、ひとつのブランド名だ。このブランド名を聴くだけで、たぶんファンには、「音楽の魂」が繰り広げるそれぞれの情景が眼前に広がるに違いない。
中近東風のファッショナブルな衣装(レノマ提供)に身を包み、モニターをすべて地下に埋め込んだシンプルで美しい白亜のステージ。そこに「TAKURO」のロゴも鮮やかに映える。強固で練り上げられた装甲車のような演奏たち。まぁ、とにかくぶっ飛んだものだ。「もはや戦後ではない」ではなく「もはやフォークではない」拓郎がそこにいた。
その凄さの反面、派手やかなステージの陰に、いわゆる「メッセージ色」が消えていくことに不満を持つファンが増えるという厳しい分岐点となったのも事実だ。ファンの思いが二つに引き裂かれ、拓郎の思いとすれ違っていく・・・これが何度も言う80年代の不幸だ。
さらにこの作品には思わぬ壁が立ちはだかる。「王様達のハイキングという歌がエラそうで嫌いだ」という拓郎の実母朝子さんの苦言だった。拓郎は母の苦言を受けて、「一生歌わない」と、この歌を封印した。あの拓郎のイメージからすると意外な気がするが、ともかく母と子の関係は誰も立ち入れないひとつの聖域だ。
そういえばラジオ(オールナイトニッポン第2期)で最初にこのツアーの告知をしたときは、拓郎「王様達のピクニック」と言っていた。言い間違えなのか、それとも初期設定タイトルだったのか。いまや老舗として多くのファンの拠り所となっているあのファンサイトは、この最初の告知に忠実に基づいているものと思われる。
さて肝心のこの歌だが、拓郎はかつて「棒みたいな歌」だと語っていた。確かにメロディの起伏と展開があまりない。しかし、妙に聴かせしまうのが拓郎の凄さだ。
「蹴飛ばしちまえ、吹き飛ばしちまえ、人が勝手に作ったレールをはみ出せ、気ままに歩け」
いろいろ意見はあっても、このあたりの拓郎のシャウトというか歌い込みは目もくらむほど素晴らしく扇情的だ。まさに輝きのあるボーカルだ。バンドの達人たちのキャッチボールのような演奏も胸をつく。まさに天から何かが降りてきているような歌いっぷりだ。拓郎は今も奇跡のような最後のバンドだったと述懐する。この時代が最高という懐古趣味の標的のように扱われるのは、拓郎もバンドメンバーも本意ではあるまい。とはいえ永遠の封印は残念だ。心の中でお母さんに手を合わせて、たまにはファンとしては凄さに胸震わせ心にあらためて刻もうではないか。
なおジャケットの女性は、長髪の美しさにタムジンに見初められて採用され、その後、モデルになったということだ。しかし、申し訳ないがどうでもいい。この神がかりなステージの拓郎本人の姿をジャケット写真にしないでどうすんだと今さらながら糾弾したい。
ただ、このジャケット(アナログ)を開いた時にあらわれるステージ全景写真は、もうたまらん。 たまらなく胸が熱くなってくる。
2015.9/23