男達の詩
作詞 吉田拓郎 作曲 吉田拓郎
シングル「男達の詩」/アルバム「detente」/アルバム「LIFE」
髪を切ったら20年が過ぎていた・・から25年が過ぎていた
1990年春、吉田拓郎デビュー20周年記念シングルとして発表された。カップリングは、デビュー曲の「イメージの詩」の予定だったが、「オレはもうこの歌に情熱がない」という本人の一言で却下され、一曲のみのシングルとなった。それまで「MUCH BETTER」「ひまわり」「176.5」とバリバリのコンピュータ打込み系サウンドから一転、シンプルなバンドサウンドのロックンロールに戻っている。その反動か、悪い夢から覚めたような爽快感が漲っている。
しかし肝心の曲よりも、当時のジャケット写真を観て衝撃を受けたファンは多かったはずだ。私もCD店でジャケット写真を観てめまいがしたのを覚えている。拓郎は髪の毛をバッサリと切り、今でこそ当然となっている「短髪の拓郎」がいきなり初登場したのだった。
いうまでもなく拓郎と言えば「長髪」である。ただの長髪ではなく、歴史を塗り替え、歴史に刻まれてきた長髪だ。世間も歴史も長髪=吉田拓郎と刻印していたのだ。本人は「前髪を気にしなくていい、そんな気分を味わいたかった」といたって軽かったがそんなに簡単な問題ではない。
ファンならばご理解いただけよう。短髪になったことで、単に髪の毛の長短という問題だけでなく、毛髪の抱えるもうひとつの深刻な問題が明らかになったということでもあった。かなり無理無理な感じのカーリー後期の頃から多くのファンは心配していたはずだ。それがついに白日の下にさらされたのだ。
これはひとつのピンチだった。世間の人々は短髪のおでこの広い男性をもはや「吉田拓郎」とは認識できない。もう「吉田拓郎」はいなくなったと思うだろう。また、多かれ少なかれビジュアル系アイドルとして拓郎に憧れてきたファンにとって、90年代初頭の拓郎の冬の時代というピンチの原因はここにもあったのだと思う。
このピンチを救ったのは言うまでもないテレビ番組「LOVE2あいしてる」だ。短髪のおでこの広い拓郎が毎週テレビに露出することによって、世間は広く「拓郎=短髪」を受け入れることができた。短髪にショックを受けたファンも徐々に毎週のテレビで目が慣れ、「短髪なりに、拓郎のカッコよさがあること」を再認識していくことができた。もしこの番組出演がなく、これまでとおり1年に1,2回、コンサート等で拓郎が露出するだけだった場合、短髪の拓郎を見るたびに「あれ誰?」「えー拓郎、変わっちゃったね」「老けちゃったね」と世間もファンもショックと寂しさを受け続けたはずだ。そういう意味で大きなピンチを脱し、乗り越えたのだ。
そう思うと今は当時のプロモーションフィルムを安心してみることもできる。スッパリと髪の毛を切って自由を得た拓郎が、ノリノリで歌っている「男達の詩」。カッコイイじゃないか。当時のNHKのドキュメントで、短髪の拓郎がテレ臭そうにスタジオに入って、この作品を丹念にイチから作り上げていくプロフェッショナルな姿も窺えた。確か途中で誕生日があったと思う。
コンピューターの打ち込みや頭髪といったさまざまな呪縛を解き放ち、短髪の拓郎の船出を祝う作品でもある。余計なことだが、テレビでも写真でもコンサートでもいい、公衆の目に触れ続けることの大切さを思う。思う・・というか願う。
このシングルとほぼ同時に松山千春の「男達の唄」と言う作品が出た。・・気が合うじゃん。昔、LOVE2に松山が出演し二人並ぶ姿を観た陣内孝則は「組長と構成員」みたいだと感激していた。松山は、つま恋2006にも来ていた。谷村新司との劇的な和解があっただけに、この二人も和解してしまうのではないかという嫌な予感がする。ハズレますように。
2015.10/3