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俺が愛した馬鹿

1985年
作詞 吉田拓郎 作曲 吉田拓郎
アルバム「俺が愛した馬鹿」/アルバム「吉田拓郎 ONE LAST NIGHT IN つま恋」/DVD「85 ONE LAST NIGHT in つま恋」

死にたい女と死ねない男、吉田編

 1985年つま恋の直前にリリースされたアルバム「俺が愛した馬鹿」のタイトル・チューン。拓郎自身の詞としては珍しいドラマ仕立てだ。しかも包丁がチラつきそうなドロドロの愛憎劇。
 拓郎がなぜこのようなドラマ調の詞を作ったのか。それは数か月前の岡本おさみとのシンプジャーナルでの対談が影響しているのではないかと推測する。対談で岡本おさみは拓郎の詞に対して、「『オレはこう思う。オレはこう生きる。』という自分語りの一人称の詞が多いけれど「スピリット(精神論)」が露骨すぎて辛い。主人公を作って、そいつにドラマを通していろいろ経験させたり語らせたりすると面白いのではないか。」という趣旨のアドバイスをしていた。それが原因のひとつではないか。どこまで行っても推測だが。
 「死んでくださいよ」で始まるとおり、このドラマのテーマは、「死にたい女と死ねない男」。余談だが最近(2007年1月雑誌GOETHE)のインタビューで、かつて「死にたい女と死ねない男」というテーマで松本隆に詞を発注したらあの「舞姫」が出来上がり、松本のドラマ創作力に感心したと語っていた。拓郎は同じテーマで松本隆の向こうを張った拓郎版のドラマを作りたかったかもしれない。
   でも、拓郎のこの詞はイイ。「何かを必至になって求め続ける褐色の瞳」、「死んだも同じの今になり躓くことを恐れてる」「みんな一人一人でもいいじゃない、あなた気が付いたときに悔むわ」尖った言葉で切々としたドラマを紡いでいる。「死にたい女」は誰よりも生きることに渇望していたからであり、「死ねない男」は、最後に大きな悔恨を抱きながら生ける屍のようになる。凄絶なドラマが覗く。
 しかしこの作品のネックは途中で曲調がガラリと変わることだと思う。これはどうだったんだ?個人的には違和感しか感じない。しかもコンピュータの打ち込みだ。特に長い間奏での空疎で無機質なコンピュータドラムのソロが続くのはさすがに辛い。妙にすわりの悪い作品になってしまっている気がする。
 アルバム発売直後に開催されたつま恋85では、いわゆる王様バンドによってバンドサウンドで再現された。明け方なので拓郎の声はガラガラだが(さすがにライブCDではボーカルを差し替えてある)、サウンドは打ち込みレコード版より格段にいい。というより素晴らしい。曲調が変わるところもドラマの場面展開のように説得力がある。バンドが燃え立つように活性化するところがたまらない。ドラムとパーカッションの長いブレイクもカッコイイ。この斉藤ノブのパーカッションソロは、映像ではステージに座り込み観客を眺めわたす拓郎の姿を浮き立たせるBGMにもなっている。難をいえば大事なところをコーラスの浜田良美に任せてしまっているところか。浜田良美、凄くイイ声だけれど。
 あくまで個人的には、この作品を筆頭に、かつて「打ち込み実験」で作られたいくつかの作品は生音でリメイクして欲しいと切に願う。

2015.10/4