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恩師よ

1994年
作詞 松本隆 作曲 吉田拓郎
シングル「まだ見ぬ朝/恩師よ」

恩師という灯を求めて

 1993年セルラー電話のCMソングとして発売された。カップリングは、オートレースのCMソング「まだ見ぬ朝」。どちらもCM映像に本人が登場していて驚いたものだった。セルラーは関西限定だったらしく直接は観ていないが。今になって聞くと宇田川オフィスの宇田川社長がこの手の戦略を積極的に仕掛けたらしい。それはいいのだが、例えばNTTdocomoでなく、セルラーフォン。競馬のトゥインクルレースとかではなく、オートレース。渋いといえば渋いが、微妙なB級感がファンとしては少し切ない。しかし楽曲はどちらも秀逸だ。
 「恩師よ」は、当時、松本隆との久々の共作だった。学生時代の恩師に静かに思いを馳せる詞は、情景の切り取り方が素晴らしく深い味わいがある。「蝶ネクタイに銀縁メガネ」・・いかにも松本隆の母校慶応にいそうな教師だ。しかし「鉄の拳」を持っているとのことで、蝶ネクタイ・銀縁メガネ・鉄の拳…なんかターミネーターに出てきそうで怖い。そういうことではないか。自分が歳をとり、ヘタってしまっているとき、迷いに迷っているとき、「背筋正して」と叱りつけてくれる恩師を思う。あの日の学校の風景が心に浮かぶ。「仰げば尊しわが師の恩」というのは、カタチこそ違え誰にも共通する心象かもしれない。
 拓郎はそういう心象風景をキチンと拾い上げる。心のささくれを優しく愛撫するようなしみじみとした静かなメロディー。少し枯れたような拓郎の歌声も表情豊かで陰影がある。心の襞にしみわたるようだ。目立たないが拓郎の作品群の中では一風変わった趣のある作品になっている。地味ながら大切にしたい一曲だ。
 恩師といえば、昔、ラジオ関東で1980年頃毎週放送していた「吉田拓郎の世界」というショボイ番組があった。マイナーで予算がないからか、吉田拓郎本人は登場せずに、ミュージシャンや音楽関係者へ電話でインタビューして拓郎のことを語らせるという内容だった。ある日の電話ゲストは、なんと拓郎の広島時代の中学校の担任の先生だった。既にご老人になっている先生は、番組のお約束が理解できないようで「フツーのおとなしい特徴のない少年だった」「確か当時、外交官になって外国に行きたいという夢があったようだが、それにしちゃ英語の成績はたいしたことなかった」とミもフタもない話しかせずに司会者を慌てさせ、聴いていて大ウケしたものだ。有名人になった教え子に媚びてない、教え子は教え子という姿勢がなんとも素敵だった。あれはもしかして「仁丹」(「消えてゆくもの」)の先生だったのかと希望的に妄想したりする。

2015.9/23