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お前が欲しいだけ

1983年
作詞 吉田拓郎 作曲 吉田拓郎
アルバム「マラソン」/DVD「85 ONE LAST NIGHT in つま恋 partⅡ」

孤独の咆哮よ永遠に

 1983年5月発表のアルバム「マラソン」所収のこの作品は、いわゆる王様バンド時代の代表作であり、何より拓郎本人の超超お気に入りの一作だ。1983年のアルバム「マラソン」のお披露目のコンサート・ツアーでは、本編のラストとアンコールで二度も演奏された特別扱いだった。その後もコンサート・ツアーの定番となったし、歴史的な1985年のIYY国立競技場のライブでは、オフコースをバックにオープニングで披露された。「えっ?この大舞台でよりによってこの曲かよ。どんだけ気に入っているんだ、拓郎。」と正直、当時は思った。今も少し思うけど。とにかく、拓郎の勝負曲。
 一聴瞭然、骨太のロックンロールだ。鉄骨むき出し、コンクリート打ちっ放しの堅牢なビルのような無骨さだ。シャウとしまくる拓郎のボーカル。何よりバンドの演奏が鉄壁だ。イントロのピアノの中西康晴の速弾きからもう尋常ではない気合を感じる。エフェクターを入れないストレートな音で拓郎自身のギターもチャカスッチャカと入っている点もご機嫌だ。まさに王様バンドの真骨頂。それが証拠に、先のIYYの時、バックで演奏したオフコースの小田和正は、このピアノを弾きあぐねたというし、その2か月後のつま恋1985で、ゲストでこの曲のピアノを弾いた松任谷正隆は「ロックンロールのピアノは苦手だ。初めて練習しちゃった。」と苦労を語っている。当時のつま恋85のビデオのpartⅡを観ると、なりふりかまわず必死でピアノを叩く松任谷正隆の姿が確認できる。まさに王様バンドならではの演奏だったのだ。
それにしても、骨太のロック、拓郎のシャウト、鉄壁のバンド演奏と三拍子揃いながら、この作品の人気度は分かれる。
 「おまえの身体を感じていたい」「抱きしめて、抱きしめられて、からませて おまえの何もかも」
この恋愛に溺れているストレートな詞。
 「これでいい なるようになって行くだけさ」という、拓郎本人も言っていた「投げやりで自堕落な詞」。これは多分当時拓郎が痺れていたローリング・ストーンズのキース・リチャーズの影響だ。「私生活はキース・リチャーズのように」が当時の口癖だった。
 こういう詞は、何度も言うように、吉田拓郎に時代のメッセンジャーとして期待していたファンにとっては、どこか馴染めなかった。執拗に拓郎に何かを期待し求めるファンと、これが苦痛になっている歌手との間のズレと温度差。自分は自分の人生と音楽を全うするだけ、ファンにも世の中に対しても何のメッセージもねーよ。この作品は、そういうメッセージだったのではないか。そのためか、鉄壁のバンドをバックに拓郎の超絶のシャウトが光るこの曲だが、拓郎にはどこか孤高な感じがしなくもない。安井かずみが拓郎のことを「ライオン」と評していたけれど、まさに孤独なライオンの最後の咆哮という言葉がよく似合う。

2015.10/3