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おきざりにした悲しみは

1972年
作詞 岡本おさみ 作曲 吉田拓郎
シングル「おきざにした悲しみは」/アルバム「みんな大好き」

歳とともに心に抱きしめる重石のブルース

 1972年歴史的大ヒット「旅の宿」に続く、次回作のシングル盤としてCBSソニーから発売された。誰もが思う、この重苦しき歌。とてもヒット路線とは思えない。拓郎も自ら語るように、「結婚しようよ」「旅の宿」と続くヒット路線の堅持を考えたら、ありえないシングルチョイスだとわかっていたが、敢えてこの曲を選んだという。要する拓郎としては、シングル・ヒットやチャートなど自分には関係ない、歌いたい歌を歌うんだという拓郎の意気軒昂さのあらわれであった。そして、その商魂のなさ故に、それから40年、ホントにシングル・ヒットとは縁が薄くなってしまうのだが。まぁいい。
 岡本おさみのこの詞は、ある種の地獄を見てしまった男の凄みが隠れている。悔恨と挫折の悲しみに満ち溢れている。その言葉たちのひとつひとつに重石をつけて沈めていくようなメロディーと演奏。もはやフォークではないし、ブルースというのも超えてしまっている気がする。この詞の重みは、おそらく聴く者にとっても、歳を経るごとにしみじみと応えてくる種類のものだ。「生きて行くのは、ああ みっともないさ」この鮮烈な歌詞は、歳とともに心の奥に突き刺さるように広がっていく。「政の煩わしさ」も「夜の寝床に抱いていく悲しみ」も実感としてわかってくる。
 で、とにかく特筆すべきは拓郎の歌の「うまさ」である。この絶望の淵のような心の襞を実に「うまく」歌い上げているのに驚く。拓郎もこの時は、弱冠26歳に過ぎない。特に拓郎の若いころのボーカルは一直線でシャウトしてというイメージが強いが、こういう陰影のある歌い方も既にしっかりとできたのだ。やるせない気持ちの込め方、そして切なく声が掠れるところ、もう絶品である。やはり天性の咀嚼力なのか。
 これと比べたいのは、布施明の同曲のカバーである。「歌唱力」ということにかけては、布施明には最高級の定評がある。しかし布施のカバーでは、この歌の絶望的な情感は全く出ていない。ありったけの腹式呼吸で歌いこんでいるようだが、とても薄っぺらな印象を受ける。「歌唱力」と「歌心」は全く違うものだということを思い知らされる。私たちはこの「歌心」に捕まってしまっているのだ。
 そしてもうひとつはギターだ。この曲の高中正義のギターがなんとも耳を離れない。とてつもなく重厚で、それでいて切れ味がある。この詞と曲の重さを実に見事に体現している。かつて甲斐よしひろが「このイントロがたまらない、もう胸がしめつけられるようだ」と語ったが、そのとおりで、このイントロはわしづかみだ。また柳田ヒロのビアノとかけあうように延々と奏でられる後奏の素晴らしさもたまらない。ステレオの片方だけをボリュームを上げて高中のギターだけを何回も何回も聴いたものだ。この曲のひとつの大きな要となっている。しかし、その高中正義もまだこの時、わずか19歳の未成年だったことも驚かされる。
 歌とはなんなのか、ギターとはなんなのか、考えさせられる一曲だ。拓郎が「おにぎりにした悲しみは」とギャグにしていたことも本文とは関係ないが付け加えておく。それと当時のテレビドラマ「ワイルド7」の劇中で使用されたこともあったっけ。

2015.10/4