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望みを捨てろ

1973年
作詞 岡本おさみ 作曲 吉田拓郎
アルバム「よしだたくろうライブ'73」

このシャウト、神がかりにつき

 名盤「ライブ73」は、この「望みを捨てろ」のすんばらしいシャウトと重厚なビッグバンドの演奏によって、まさに雪崩込むようにフィナーレを迎える。
 岡本おさみの詞は、我が家だけは守りたい、妻と子だけは温めたい、最後は嫌でも一人だから・・望みを捨てろ、望みを捨てろ・・・と、どうみても悲観的で後ろ向きなフレーズが延々と繰り返される。おそらくは政事とか理想とか大義を掲げて闘いその挙句に傷つき消耗し尽くした者だけがわかりうる自虐のようなものなのだろうか。しかし、どうだろう、作品として出来上がると聴く者に対して、圧倒的な勇気と気骨を与てくれる気がする。そこいらの薄っぺらな「元気ソング」「励ましソング」なんかには敵わない、そんな前向きなパワーに満ちている。
 荒涼たる大地に響きわたるようなオープニングのファンファーレ。かきならされるアコースティックギターをバックに拓郎の鋭利なボーカル。若竹がしなるような歌声に、もうここで聴き手は胸鷲掴みになる。そのボーカルにひとりひとり寄り添うよう集まってくるサウンド。そしていよいよビッグバンドのサウンドが大きな塊になって壮大に爆裂すると、その演奏と競いあうようにさらにヒートアップする拓郎のシャウト。ああ、もうたまらん。文化財に指定されても驚かないぞ。

 しかし、77年に行われた岡本おさみと拓郎の対談で、二人は、「ライブ73」を絶賛しつつもこんな事を言う
   拓郎「・・・ちょっとまずかったと思うのは『望みを捨てろ』だけかな」
   岡本「・・全く同感だね・」
 まずい? 私は畏れながら、この両巨頭に敢えて問いたい「一体この作品のどこがまずいというのか?」ついでに「むしろまずいのは『マンボウ』とかだろ?」>おいおい。専門ファンによって、26日、27日のバージョンの違いや、エンディングの在り方などの詳細な研究がなされているふしがあるが、それらの深い考察は、むしろこの作品の素晴らしさを宣揚するものだと思うし。
 とはいえ、2年後の79年の篠島のセカンドステージでは瀬尾一三率いるビッグバンドで、ファンファーレも含めほぼ73年のアレンジのまま再演された。拓郎のボーカルには熟練が滲み、高中正義の替りに青山徹のギターが唸っているなど73年とは様相に違いはある。しかし、ビッグバンドの威力と拓郎のボーカルが、はりあって作り上げられる壮大さこそがこの作品の命であることを依然として教えてくれている。
 その点では、89年の東京ドームツアーで演奏されたことを思い出す。この作品を覚えていてくれたことは何よりうれしかったが、小編成のしかも若手中心のバンドで演奏されるとちょっと危ういものがあったと思う。ちょうど、Tシャツ短パンの軽装備で奥穂高に登山しようとするそんな無謀さを感じる。いみふ。
 そうそう、マニアな話だが、レコード、CDではフェイドアウトだが、カセット版だとエンディングまで聴けるとのことだ。
 それと、これは全く根拠のない推測だが、この作品のエッセンスにインスパイアされて「ファミリー」が出来上がったのではないかと思っている。篠島でこの曲を再認識し、「そう人は最後は一人なんだ」とその年の秋にコンサートのフィナーレ用にファミリーの詞を書き上げたに違いない^_^; いずれにしても産みの親たちがどう言おうと勝手ながら名曲なので「金の鳩賞」贈呈」>なんの賞だよ。

2015.5/10