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野の仏

1973年
作詞 岡本おさみ 作曲 吉田拓郎
アルバム「よしだたくうLIVE73」/アルバム「みんな大好き」

素浪人野の仏、二人旅

 山本コータローの名著「誰も知らなかったよしだ拓郎」の最後に拓郎本人のこんな発言がある。「野の仏って曲があるだろ、俺は今あの心境になりたいんだ」。 ハードで部厚い演奏が印象的なライブ73の作品群の中にあって、この作品だけは、陽だまりのようなおだやかな雰囲気を醸し出している。のどかでフォーキーな岡本おさみの詞、ほのぼのとしたメロディー。音楽界にあっても、斬った張ったの戦場に身を置いていた当時の拓郎にとって、この作品に、何かを達観した「悟り」ような境地を感じていたのだろうか。
 個人的なツボは、間奏。うららかな陽射しの中で、穏やかな川べりに佇むかのような松任谷正隆のハモンド・オルガン。いつまでもこの音色に浸っていたいような心地よさ。そして、そのオルガンに寄り添う高中のリリカルなギター。隠し味のような石川鷹彦のバンジョーに、たゆとうようなストリングス陣。この間奏は、まるでこの作品の結晶のように美しい。

 さて高節くんだ。御大の公式作品に実名で登場するアーティストは、ビートルズとボブ・ディランと南高節とダイエーだけだ。ダイエーは店だろ。 南高節は、この作品が発表されるやいなや、ステージでカバーして「高節くんが・・」と歌っていた。「自分で歌うなよ!」と思ったあなたは、たぶん御大と同じ質感をお持ちの人だ。特に拓郎は、最近は、質感が合わない、あいつは好きではないと事あるごとに公言して憚らない。2006年のつま恋でも久々に演奏されたが、「歌っている途中で高節の顏が浮かんで『ウソばっか』と思った」とウケていた。
 その反面で、例えば、拓郎はクリスマスの約束2013で小田和正から「同時代を生きたアーティストは誰か」と問われると、加藤和彦と並んで高節の名前をあげた。歴史的イベントつま恋をともに経験したうえに、出不精の拓郎が彼のサマーピクニックのステージでは何度もゲストで熱唱し、「高節くんに敬意を表して」神田川をカバーしたこともあるなど、南高節の存在はあまりにも大きい。小田が「懐に入れていた」と評するように文字通り腹心の友というべき存在ではないか。
 とはいえ侮ってはならない。昔、高節は、「拓郎の好きなところ嫌いなところ」という雑誌のアンケートで「拓郎の好きなところは矛盾の許される人徳を持っているところ、嫌いなところは、矛盾の許される人徳に頼っている時」と鋭い名言をかました。
 また昔、ユイ音楽工房の所属アーティストの表記順は、1吉田拓郎→2南高節という確固不動の順序だったが、拓郎が社長業に忙殺されてコンサート活動をしなかった時、すかさず1南高節→2吉田拓郎という表示順になっていた時があった。一瞬のことだったが、俺は忘れねぇよ。
 さらに最近では拓郎が弱っていた2009年に、つま恋で自分の還暦イベントをかまして「つま恋=おいちゃん」という野望まで見え隠れする。油断は大敵だ。気が付くと、多目的広場に「あの日の空よ」とか記されたおいちゃん銅像が建てられてしまうかもしれない。注意せよ。

 というわけで、いろいろ悪態もつかせていただいたが、この二人の関係は、昔の時代劇、近衛十四郎扮する月影兵庫(花山大吉)と品川隆次扮する焼津の半次の関係に近いのではないかと思う。
 「もうおまえなんぞの顔は見たくねぇ!!」「あっしも旦那の勝手にはついていけねぇや!」と罵り合い、いがみ合いながらも、お互いに助け合いつつ渡世を旅する関係のような気がしてならない。
 これからも、質感の違いを発揮して御大を怒らせながら、どうかお二人ともお元気でこの渡世の旅を続けてほしいとファンは願う。

2015.9/26