人間の「い」
作詞 吉田拓郎 作曲 吉田拓郎
アルバム「月夜のカヌー」/アルバム「豊かなる一日」
ミュージシャン形容詞を歌う
「流星」のセルフカバーを除くとアルバム「月夜のカヌー」で唯一の拓郎の作詞になるこの作品。正直言って、最初聴いた時は、またぁ、くだらねー詞を書いて・・・と思ったものだ。
じれったい、抱きしめたい、うしろめたい、いとおしい・・・この形容詞(厳密には品詞的に形容詞でないものもあるが)だけで組み立てられた歌。前代未聞である。後にコードだけを歌った「Fの気持ち」と双璧をなす。こんな作品は、良くも悪くも拓郎しか作れまい。
今回調べてわかったのは、この末尾に「い」がつく形容詞は、文法的には「い形容詞」と分類され、外国人が日本語を習得するときのひとつの関門らしい。そして、人間のあらゆる精神的な営みを表現する品詞としての働きをすることだ。うーむ、深いぞ。しかし、さだまさしや小田和正ならいざ知らず、御大がそこまでの学識をもとに詞を書いたとは思えない。すまん。天性の勘によって、あそび心いっぱいでこの詞をテキトーに書いたところ、ひとかどの作品として成立したに違いない。だからこそ御大はスゴイのだ。
ただテキトーに羅列しているようで、よーく詞を観ると、それぞれの形容詞の間には、それなりの関連が覗けたりもする。そして総じて、人間同士が、ぶつかりあったり、求め合ったり、また許し合ったり、そんな営みが見事に浮かび上がっている。
というかこの詞を細かく解釈し読み込むというより、この詞の形容詞から触発されて、それぞれの頭の中にうかぶドラマを見つめなさいということかもしれない。
アルバム「月夜のカヌー」がレコーディングされた直後に、肺癌が発見され闘病生活に入る。延期の末、半年後に復帰したビッグバンドとのステージ(アルバム「豊かなる一日」)。あのオープニングの忘れようとしても忘れられるワケがない「今日までそして明日から」。あの感動の余韻に浸る観客をぐいぐいとライブに牽引するそんな二曲目として「人間のい」が演奏された。ゴージャスな演奏は、音楽的にも心意気的にも活気が横溢していて、これがこの作品のベストテイクだろう。
またスタジオ録音ではピンと来なかった「残り少ない 生きてたい」、「命がけのい」が、このライブでは、妙なリアリティをもって胸に迫ってくる。拓郎の思いっきりのシャウトもそれと無関係ではあるまい。
2015.10/17