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虹の魚

1978年
作詞 松本隆 作曲 吉田拓郎
アルバム「ローリング30」/アルバム「TAKURU TUOR 1979」/DVD TAKURO & his BIG GROUP with SEO 2005/DVD「TAKURO YOSHIDA LIVE 2012」

震えながら激流を登っていく出世魚

「虹の魚」は、1978年8月にアルバム「ローリング30」の一曲として箱根ロックウェルスタジオチームにより録音された。大作揃いのこのアルバムの中では、小品の部類の作品かもしれないが力作だ。「底の石が透ける水に右手浸せば」・・・初夏ないしは新緑の映えるころだろうか、陽射しに照らされた美しい渓流の風景を見事に描きだしている。そんな山間の渓流を小さなニジマスが切なくも健気にピチピチと跳ねる様をいきいきと体現するような作品に仕上がっている。
 翌年の79年のコンサートツアー&篠島では、鈴木茂のギターが唸るハードなロックナンバーとして演奏された。間奏直前に「シゲル」と叫ぶ御大の声も入っている。以後オープニングから2,3曲目でライブを引っ張るセカンドギアのような役割で、80年代の半ばまでは(81年体育館ツアー、85年つま恋)、鈴木茂のハマリ役だった。
 2000年代になると瀬尾一三率いるビッグバンドにより、重厚でありながら、ノリノリのダンサブルなナンバーとしてステージの中心に据えられるようになり、振り付けまで用意された。こうも豪勢になると渓流ではなく大河を遡るマスの群れを思わせる。
 そして、2007年のCountryツアーでは、ついにアンコールのオーラスというステージを締めくくるナンバーとして配置され、「苦しくても息切れても」がリフレインされてフィナーレを飾った。しかし声を絞り出す拓郎の姿は、ホントに苦しそうだったが。
 というわけでステージでの扱いが段々に重役級になってくる、まさに「出世魚」のような作品だ。
 完成ホヤホヤの新曲としてオリジナルがロックウェルスタジオからのラジオ中継で初めて紹介された時、拓郎は、この作品を「とても可哀想な話のような気もする」と評していた。どこかにニジマスの切なさも含んだ作品だったが、それがライブで練り上げられるうちにかくもゴージャスにパワーアップしたのである。
 うがった見方をすれば、これは長い年月のなせる技だと思う。齢を重ねるうちに、行く手を右左にせき止められ、打ちのめされ、傷ついたニジマスは、まさに私たち自身の姿でもあることをしみじみと実感する。理屈ではなく心に沁みいるような共感。昔、”君たちは魚だ”というオリンピックを目指す水泳選手のテレビドラマ(誰も知るまい)があったが、私たちはニジマスなのだ。
 拓郎の陽気で優しさに満ちたメロディー、そしてビッグバンドのゴージャスな演奏は、ヘタれそうなニジマスである聴き手を思い切り鼓舞するかのように響く。力強いビートと延々とたたみかけるようなギターとサックスのはじけるプレイは、どこまでも激流を昇っていくかのようだ。せき止められようが、打ちのめされようとへのカッパ。みんな元気で行くしかないじゃないのという明るい覚悟の歌に転生している。その意味でも2005~2006年のビッグバンドの演奏がこの作品のひとつの到達点ではないかと思う。
 ところで、ファンなら誰もが思うはずだ。確証は何もないが、中島みゆきの「ファイト」。あきらめという鎖をほどきながら海の国境を越えて昇っていく魚たちは、たぶん「虹の魚」とリンクしているに違いない。そうなると拓郎が、「ファイト」をカバーしたのは単なる思い付きではないことになる。このあたりは謎のままかもしれない。ともかく、日々の暮らしという激流を昇っていく時に、この二人のこの二曲を支えにできる私たちはラッキーなのだと思う。

2015.10/17