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夏休み

1971年
作詞 吉田拓郎 作曲 吉田拓郎
アルバム「よしだたくろう オンステージ ともだち」/アルバム「元気です」/シングル「風を見たか」/アルバム「吉田拓郎 ONE LAST NIGHT IN つま恋」/アルバム「LIFE」/アルバム「みんな大好き」/アルバム「一瞬の夏」/DVD「吉田拓郎・かぐや姫 コンサート イン つま恋 1975」/DVD「吉田拓郎 ONE LAST NIGHT IN つま恋'85 」

日本の夏よ、この唱歌とともに永遠に

 この作品は、もはや名曲とか代表作というレベルではなく、日本の「唱歌」として歌い継がれるべき高みに至っていると思う。なのに、夏はチューブだとかサザンだとか、いつまでもバカ言ってんじゃないぞ日本人!そもそも発表当初から、例えば音楽評論家の三橋一夫に「絵日記のような稚拙な作品」と酷評されたり、不幸な生い立ちを歩んできた作品でもある。
 しかし、一見シンプルなこの詞には、眼に浮かぶような夏の情景、陽射しと空気、夏のときめき、郷愁、というすべての情感がこめられている。
詩作テクニックとしても、「それでも待ってる夏休み」「指折り待ってる夏休み」「一人で待ってる夏休み」と韻を踏んで展開していくフレーズだが、最後は意表を付くように「ひまわり 夕立 蝉の声」で終わる。この詞は閉じていないのだ。むしろ最後でその情感を聴き手に向かってバトンを渡すように投げかけるかのようだ。
 例えば小学校の時、腹痛の自分を背負ってくれた宮崎先生。「背中のあたたかさと風の中の匂いだけはわすれられない」と述懐する拓郎。本人の超個人的な体験にもかかわらず、誰の心にも音叉のように波及してくる。作り手吉田拓郎の手を離れ、聴く人それぞれの夏休みという愛に満ちた経験と記憶が広がるのだ。実に見事な詩作ではないか。
 今も拓郎は酷評した三橋一夫に怒っているようだが、私は、三橋氏を良く知らないので特に恨みも怒りもない。ただ「天才の詞」と「稚拙な評論」の間に挟まれて、永遠に苦しみ続けるがいいと願うだけだ。って、すげ怒ってんじゃん。

 初出はオンステージともだちのミニバンドのバージョン。かつてLOVE2あいしてるに出演した明石家さんまが、このミニバンドのバージョンでの夏休みをリクエストして歌ったことがあった。ギターは高中正義。田辺さんのギターを高中正義がコピーするという光景は衝撃的だった。この瞬間、ミニバンドのプレイは、まさに殿堂入りしたのだと思った。そうそう「また会おう」も田辺さんだったとのことで、もともと殿堂に入っていたのだった。
 翌年、石川鷹彦の神の手によって作られた、「元気です」バージョンが、スタジオ録音としては最高のバージョンだろう。とはいえライブバージョンにも名演が多い。松任谷正隆のテンポ良さが冴えるつま恋75の第2ステージのオープニング。長いイントロの最中に後藤由多加に先導されて出陣を待つ拓郎の映像とシンクロする。79年のツアー&篠島のバージョン、ジェイクコンセプションのフルートとエルトン永田のビアノの見事なコラボだった。祭り太鼓がズシンズシンと響いてくるようなバージョンは、85年のつま恋で瀬尾一三が基本を作り、2005年のビッグバンドまで承継されている。CR「夏休みがいっぱい」というパチンコのコラボにまでなったのは記憶に新しい。
 拓郎も「唱歌」を意識してか、ライブでは歌詞先導や歌詞を映し出して、会場唱和の雰囲気を創り上げる。さんざん南高節や山本コータローの歌詞先導に文句を言っていたのに自分はどうなんだという小さな疑問は捨ててしまおう。
 2014年も会場唱和大実施で、特に久々にライブを訪れたであろうおっさんたちを欣喜雀躍させた。やはり顧客ニーズの根強い古典的人気商品なのだ。金鳥蚊取り線香、虫刺されにキンカンと向こうを張る。ともかく日本の夏の一部になってしまっているのがこの作品といっていい。というわけで、最初に戻って、この作品をさらに顕揚して、日本の夏が豊かなものであり続けることを祈る。・・てか祈らせて。

2015.9/26