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夏二人で

1992年
作詞 及川恒平 作曲 及川恒平
シングル「吉田町の唄」/アルバム「吉田町の唄」

カバーとはかつてそこに愛があった証である

 及川恒平と四角佳子の繊細なデュエットが素晴らしいフォークの名曲「夏二人で」。拓郎も自分のラジオ番組で、何度も流していたから相当にお気に入りであることはわかっていた。この夏の煌めきのような歌を聴くたびに、自分もワケもなく泣きそうになる。
 しかし92年になって勝負シングル「吉田町の唄」とカップリングでカバー(アルバム「吉田町の唄」にも収録)したときにはたいそう驚いたものだ。六文銭の代表曲というよりも、おケイさんの代表曲の印象も強いこの曲をカバーするとは。たとえば布施明が、今になって突然「オリビアを聴きながら」をカバーするくらい驚く。って、わかんねーよ。それに、その歌は「オリビア・ハッセー」じゃねーだろ。やはり年齢や時間のなせる技というものでもあるのだろうか。
 「他人の作品をカバーするときは、原曲の影がなくなるくらい徹底的にアレンジするのが、原曲への礼儀だ」と拓郎は語ったことがある。あれは子供バンドの「たどり着いたらいつも雨降り」のアレンジが原曲テイストだったために、拓郎がうじきつよしに苦言を呈した時だったか。
 しかし徹底したアレンジというのは、それはそれで危うい作業だ。名前を出すとなんだが、御大の「眠れない夜」のカバーの時は、泉谷しげるが「五月病の唄みてぇだ」と怒っていたし、「いつでも夢を」も、なんだこりゃと私が怒っていた。誰なんだ、私は。
 しかし、このカバーは成功している。例えば原曲で、息を潜めるように歌われる出だし「暑ぅぅぅぃ夏の盛り場ををををを 僕たちウキウキ歩いたぁぁぁぁぁ」。実に繊細なデュエットの部分。ここが、換骨奪胎、いきなり陽気でポップな歌い回しに変えられている。しかし、ここでは見事な「咀嚼」を感じさせる。
  夏の陽射しの眩しさ、寂しさ、お金はないが時間だけはたくさんもてあます若さの嬉しさと不安・・・この原曲が体現している抒情と景色。これを拓郎自身も心の奥深く掴んでいるからこそ、大胆なポップスへの変換に違和感がないのではないか。飾り窓の長いドレスもグリーサラダも変わらずに煌めいている。原曲のエッセンスを継承しつつ拓郎流のポップスに転生している見事さが際立つ。
 まるで原曲とカバー曲の間でバトンがきちんと渡されているかのようだ。御大には怒られるかもしれないが、かつて夫婦であったことで遠ざけてしまうものもあれば、夫婦だったればこそ、すんなりと伝わってしまうものもあったりするのではないか。フィンランドのことわざを借りれば「カバーとはかつてそこに愛があった証である」というところか。いみふ。
 ただ一度だけのレコード上だけでのカバーだと思いきや、2000年夏の「冷やしたぬきツアー」で歌われた。ワンツアー歌い込まれたことで、より豊かな普遍的ナンバーとしての命を与えられたのが嬉しい。またどこかのステージで会えることを期待している。原曲も。

2015.10/17