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七つの夜と七つの酒

1986年
作詞 安井かずみ 作曲 吉田拓郎
アルバム「サマルカンド・ブルー」/DVD「89 TAKURO YOSHIDA in BIG EGG」

天賦の作り上げた海を漂うがごとく

 アルバム「サマルカンドブルー」は、安井かずみと加藤和彦二人の作品であって、自分はボーカリストに徹しているだけだと拓郎は自ら語る。そういう解説もよく目にする。
 しかし、作詞こそすべて安井かずみだが、加藤和彦の作曲は、全10曲中3曲だけだ(「パラレル」「ロンリーストリートキャフェ」「時は蠍のように」)。つまりこのアルバムの70%は、拓郎のメロディーで出来上がっていることを忘れてはならない。これを聴き手までが、安井・加藤の作品と烙印を押してしまうのはどうか。安井・加藤の作品と称するのは、拓郎特有の奥ゆかしさであることにファンは気づかなくてはならない。
 もし拓郎とその話になったら「いえ、拓郎さん、安井・加藤コンビも凄いですが、あなたのメロディーあってのアルバムです」という、ねぎらいの言葉を忘れてはならない・・って、いつ拓郎と話できんたよ。

 というわけで、この「七つの夜と七つの酒」も拓郎の作曲である。よもや加藤和彦のメロディーと思い込んでいる諸兄はいないだろうか。実に個性的でムーディーなメロディーが冴える。安井かずみの詞は、イスファファンの市場やジプシーや海賊など中近東の異国情緒が思いっきり溢れているドラマチックな詞だ。しかもどこか退廃的(デカダン)な感じが漂う。
 そして間違いなく、拓郎は、そういう世界に知識も関心も全くないはずだ。もちろんこれを機会に勉強しようという努力もしていないだろう。なにせ天才に向上心は不要なのだから(本人談)。しかし、結果として詞のもつ世界観を情緒たっぷりに表現しているメロディーが実に深イイ。天性の勘なのだろう。
 もちろんこの世界観を表現するのに加藤和彦のアレンジと構成の力は不可欠だが、メロディーに力なくして、特にこの作品はなりたたない。そのくらいエキゾチックで退廃的な詞の世界が見事に具現化している。思わず身体がゆらゆら揺れ出してくるような「正気の欠片のオンザロックス、とけてすべは楽になる」という最後のサビに至るまでのメロディー展開がたまらなく秀逸だ。
 そして特に言いたいのは、このサビの部分は、「熱唱」が似合わない特異なメロディーだ。要は、声量なく、力もいれず、テキトーに歌えば歌う程、カッコ良く映えてくるところが凄いのだ。もちろんこれは御大本人のボーカルに限るが。東京ドームツアーが唯一のライブ演奏になるが、このライブのときはあまり声量がないというハンデがあった。少し苦しそうに、投げやりに歌っているにもかかわらず、オリジナルよりも妙にセクシーで魅力的なボーカルとなっている。演奏的にも間奏・後奏が、スケールアップしたこのライブバージョンの方が、曲の魅力を活かしている気がしてならない。

 詩のもつスケールとデカダンスなエッセンスを拓郎がしっかりキャッチしてメロディーと歌唱に反映させているところがなんとも凄いし、安井かずみに、拓郎に曲を書かせて歌わせればそうなると言う設計図があったとしたらさらに凄いことだと思う。天才同志のキャッチボールを観ているかのようだ。いや加藤和彦を入れたら・・・三角ベースか。天才の三角ベースって観たことないが。

2015.9/26