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流れ流され

1988年
作詞 吉田拓郎 作曲 吉田拓郎
アルバム「MUCH BETTER」

母は影のように佇みながら

 85年のつま恋で第一線を退いたという拓郎が、3年間の浪人生活を経て「再始動」したアルバム「MUCH BETTER」。その中の一曲であるこの作品は、とても小気味よいリズムとメロディーなのだが、このアルバムの目玉とされるコンピュータの打ち込みによる「ピコピコ・ピュンピュン」テイストのために、やや残念感が漂う。
 流されていくという消極的なテーマ。拓郎は、再始動に際して、かつての「熱狂」や「カリスマ性」を求められることを徹底して拒否していた。この作品でも、自分は、燃えていないし、ただ流れ流されて生きているだけだからという諦観した歌詞のおかげで、聴く方としては、なんとなく意気が上がらない。何にも束縛されず自由に音楽をやりたいという深謀遠慮なのか。
 そんなこの作品で注目すべきことは、拓郎の実母朝子さんの逝去に触れていることだ。突然脈絡なく「おふくろが死んだ。今日は朝から突然の嵐。」と切り出す。しかし「今日より悲しかった一日というのは確かにあったはず。」とあっさり流すのであった。
 父親の死に際しては「おやじの唄」という名曲を創り、父親を中心にした家族への追憶を「吉田町の唄」で、そして幾星霜を経ての父親への思いを「清流」に託している。
 それに比べて母の死は、わずか二行のフレーズか。・・・母は悲しいです。っておまえが言うな。ここからは、ただの下種勘なのでご容赦願いたい。十分な時間を持てないまま突然の死を迎えた父・正広さんに対し、母朝子さんとは、終生の深い絆があり、また長い闘病生活の中で二人の別れが既に済んでいたのかもしれない。母の溢れる愛の中で育ったと公言して憚らない拓郎にとって、母親は、対象ではなく、一体として拓郎自身の深奥にあるコアのようなものではないか。あの頑固一徹な拓郎が、母の一言で「王様達のハイキング」を封印し、また母の生前の一言で、大規模ツアーをキャンセルし、一人弾き語りのALONE TOURに出る。普通じゃ考えられない。
 小室等が90年のNACK5の拓郎の特別番組で、広島で母朝子さんのお知り合いの方から伺ったというエピソードも忘れられない。敬虔なクリスチャンだった母朝子さんは、金沢事件の時に息子はそんな人間ではないと教会で署名を必死で集めていたという話、その何年か後、母に頼まれて、拓郎がその教会に現れてボブ・ディランの歌をみんなに歌ってくれたという話。小室等いわく普段の拓郎からはトテモ考えられない、それだけ深い絆があの母子にはあるのだ・・と。さすが小室等。やはりミスター小室大賞は、哲哉さんではなく等さんに贈られよう。なんだ、そりゃ。
 この曲のあっさりとした二行の背景にこめられているものはとてつもなく深く大きい。って当たり前か。

2015.11/29