uramado-top

無題

1978年
作詞 松本隆 作曲 吉田拓郎
アルバム「ローリング30」/アルバム「18時開演」

すべての恋する者の味方として

 「無題」という素っ気ないタイトル、LPのD面の最後から2曲目という地味なロケーションにもかかわらず、隠れた名曲として多くのファンに信奉されたきた。って、別にファンにリサーチをしていたわけではない。
 2009年の最後のコンサートツアーの開場直後、開演前という前代未聞のタイミングにサプライズで演奏された。ホントに驚いたものだ。おいおい、どこの歌手が、お客におかまいなしで開場直後に歌うんだ? 最初、聴きそびれた私は、サプライズよりも怒りが収まらず、しばらく御大を「人でなし」と恨んだものだ(笑)。しかも、それがこのライブ初演の「無題」だったからこそ驚きは倍増であった。この時、この作品が聴けた至上の喜びがネットや周囲でさざ波のように湧き上がった。そうだ、みんなこの作品が大好きだったのだとわかった次第だ。これが聴ければ、コンサート本編は聞かなくてもいいという強者までいた。どんだけ支持されているかが窺いしれる。
 都市伝説かもしれないが、この詞は、松本隆が、ある女性歌手に対する思いを綴ったもので、彼女の名前が原題だったが、あまりに具体的過ぎるために「無題」となったと言われている。同じアルバムの「恋唄」も同様だ。あっちは「あなたの舌足らずな言葉たち」がヒントになる。
 しかし、それが誰であろうとこの作品の前では大きな問題ではないかもしれない。どちらも、遠くからひとりの女性をひたすら思慕する男の普遍的な心情を描いたスタンダードたる作品だ。「恋唄」は、相手の小さな一挙手一投足にまで焦がれる思いをこめ、「無題」は「男女の友情」というある意味で、虚しいツールを手掛かりに届かぬ思いの切なさを描く。
 御大はすべての恋する者たちの味方だから、これらの詞に極上のメロディーをつけて、繊細に歌い上げた。「無題」と「恋唄」はそんな風に結ばれていると考えると感慨深い。
 また「裏街のマリア」で記したように、このアルバムは2チームで制作されている。ロックウェルチーム(恋唄)とほぼティンパンアレイチーム(無題)の「競演」という視点でみると、これはもう素晴らしい名勝負であり、この勝負がアルバムをより魅力的なものとして名盤たらしめている。
 この「無題」は、松任谷正隆と駒沢裕城による悲しみを湛えたイントロが絶品で、ココからもう胸は鷲掴み状態である。この哀愁の海をゆくようなイントロだけで涙腺が刺激されまくる。
 御大の歌い方も秀逸で、「ついさっき沈む夕日がぁ」「男にもなく時があるぅ」のあたりたの哀しみに満ちた切ない歌いっぷりがたまらない。なんと繊細で情感溢れる歌いっぷりなのだろうか。
「オールをどこかさらわれちまった」は、松本隆の必殺技だ。・・・「ああ時を渡る船にオールはない、流されてく(WOMAN)」「オールさえ無くしたまま二人(哀しみのボート)」ということで、これを松本隆のオールなき船の三大名曲と名付ける。船を漕ぐときはオールに注意しろというメッセージソングでもある。なんだそりゃ。
 忘れちゃいけない、「18時開演」のビッグバンド・バージョンも遜色なく素晴らしい。瀬尾一三率いるビッグバンドは、最初は、ズガーンというスケールメリットが際立ったが、この2009年あたりになると、音が実に繊細で、痒いところに手が届くようなきめ細やかさがある。ファンとしては、スタジオバージョンとライブバシージョンの両方を手にした幸福を祝おう。

2015.11/21