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もうすぐ帰るよ

1977年
作詞 岡本おさみ 作曲 吉田拓郎
シングル「もうすぐ帰るよ」/アルバム「TAKURO TOUR 1979」/アルバム「LIFE」

やがて荘厳なる朝帰り

 1974年のコンサートツアーの弾き語りでお目見えしたこの曲は、当初は2番までしかなかった。文字通り夜明けのけだるいつぶやきのような雰囲気の小品だった。詞もメロディも微妙に異なり、例えば「徹夜明けのけだるさ」が抱きたがっているのは「君」ではなく「僕」だったりする。「君はまだぁ眠ってるかな」は、どこか可愛らしい問いかけのようにしめくくられる。
 それから時間が経ち77年、御大がフォーライフレコードの社長就任直後に、3番が付されてスケールアップし、ギターがウィンウィン唸るロックナンバーとしてシングル盤として転生する。この時代には珍しくプロモーションフィルムが残っている。このビデオは、フォーライフレコードの新人宣伝のイベント用に作られたとのことである。また当時のラジオで拓郎は「軽井沢に新曲を作りに行ってくる」と言っていたので、このプロモのレコーディング風景やラガーシャツのジャケット写真も軽井沢のようだ。スタジオには、青山徹や石山恵三や松任谷正隆らの姿が見える。
 しかし、シングル盤としては全体にインパクトが薄かったと思う。前作シングルの「たえこMYLOVE」と比べると売上枚数ではかなりの憂き目をみた。アルバムも「クリスマス」、「ぷらいべえと」と企画盤ばかりが続き、そのうえ社長に就任して「裏方宣言」をし、浅田美代子とも結婚という状況は、「拓郎アガリ」今で言えば「拓郎終了」という雰囲気もあり決して順風とはいえない空気だった。そんなことも災いしたのかともと思う。ともかく気勢のあがらなかったシングルという印象が強い。

 そして、苦難の社長忙殺時代を経て、拓郎は、79年の通称デスマッチ・コンサートツアーと篠島のイベントでミュージシャンとして再起する。そのステージで松任谷バンドとともにステージで演奏された。ここでさらに大幅にアレンジされ変貌した姿を見せた。
 シングル盤のエレキで突っ走るような強引さは陰を潜め、ミディアム・スローなテンポで、バラードチックに拓郎が歌い上げる作品となっている。ボーカルがサウンドに埋もれていたシングルバージョンと違って、拓郎の野太いボーカルが作品と演奏を力強く牽引して行く。このツアーで歌い込んだ拓郎のボーカルが特に素晴らしい。岡本おさみの詞は、これに限らず、朝の光を、やさぐれた深夜の汚れや傷跡を清めてくれるものとして描くことが多い。そんな意をくんで静かに光射すように拓郎は歌い上げる。「魂こめて歌う」というMCがあったが、まさに歌詞のひとつひとつに入魂するように歌い上げられた逸品である。
 また、アシストするジェイクのサックスも何かを語りあげるようにドラマチックに歌う。そう考えるとこの作品は、弾き語り→シングルVer.と来て、この79年ライブで荘厳に完成したと言ってしまいたい。とにかく傑作だ。
 シングル盤では、「野心(のごころ)」という歌詞が、ライブでは「野心(やしん)」と歌われている。一見すると、御大の漢字の読み間違えをライブで訂正したかのように見えるが、実際もそうだろう(笑)。しかし、「野心(のごころ)」はそれはそれで味がある言葉ということで、「野心(のごころ)バージョン」「野心(やしん)バージョン」と区分しているファンもいる。
 前にも書いたが、普通の社会だったら、読み間違う歌手、ふりがな忘れの作詞家、商品として出荷するまでの検査体制の不備など責任の所在を巡って問題になるところ、ここでは誰一人として不幸になっていない。実に美しいビジネスモデルではないか。そういう話ではないか。
 96年のベストアルバム「LIFE」では、リミックスされ、原曲に隠れていたハーモニカの音が聴こえる。シングル盤には不評を唱えたが、実に丁寧に作りこんであるもうひとつの表情が窺い知ることができた。

2016.1/9