uramado-top

水無し川

1976年
作詞 松本隆 作曲 吉田拓郎
アルバム「明日に向って走れ」/DVD「1996年、秋」

吹雪と春の陽射しの間を流れる名作

 「他の歌手への提供曲で一番気に入っている作品は何か」という質問に対して、御大の答えはその時々で違うが、「風になりたい」か「水無し川」であることが多い。順位は別にして、御大の自信作であることは間違いない。
 そして、実際に、この「水無し川」は名作だ。75年11月に大ヒット「我が良き友よ」に続けて、かまやつひろしに提供された。故郷の恋人に後ろ髪を引かれながら都会へ旅立つ男の独白は、「木綿のハンカチーフ」ともプロットが重なり、まさに松本隆の独壇場だ。フォーク・カントリー調をベースにしつつ、まさに川を流れゆくようなメロディー展開が素晴らしい。
 御大も、翌年のアルバム「明日に向って走れ」で本人歌唱を収録した。しかし、ムッシュと御大では、随分と作品の印象が違う。ムッシュの明朗なバージョンとは違って、御大の本人歌唱は、暗く、憔悴した、やるせなさが漂う。
 もちろんムッシュの声質とキャラから考えて陽性になるのは当然だ。それに、ムッシュのバージョンは瀬尾一三アレンジだが、拓郎のは松任谷正隆のアレンジだったので、きっと松任谷のアレンジがヘタこいたせいだと恐れ多くも考えていた。

   しかし、提供曲ながら、この作品が背負ってしまった背景も原因なのではないかとも思う。ムッシュのレコーディングは、75年9月の離婚直後だった。拓郎は、マスコミとの関係がすっかり悪化し、離婚の心痛もあり、年内休業を宣言し雲隠れしていた。それでも連日、御大の離婚や人品骨柄を叩きまくる週刊誌記事は蔓延していた。今でいう「炎上」の日々だ。家庭を失い、世間からもバッシングされるという、まさに三界に棲家なしの苦境だったに違いない。
 その頃に、御大は、スタジオでムッシュの「水無し川」のレコーディングに取り組んでいたのだが、このレコーディングが、大変だったことはもはや伝説級だ。ムッシュの歌唱力に対する御大の厳しい歌唱指導とダメ出しで、長時間に及んだようだ。ムッシュは、後に拓郎の歌唱指導の厳しさを「川内康範」のようだったとクレームしていたが(笑)まさに骨までの愛に満ちた渾身の指導だったのだろう。この時、スタジオに取材に来ていた当時スポニチの記者の小西良太郎氏が、ムッシュより早く曲を覚えて見事に歌って見せたという逸話まである。
 小西氏は、曲を憶えるためにスタジオいたワケではなく、この時の取材を通じて、世間で総叩きにあってる拓郎について「拓郎は今音楽に打ち込んでいる。これほど音楽が好きな人間に何も言うことはない」と、マスコミでは唯一、拓郎擁護の記事を書いた。後日、拓郎は、いろいろな場所であの記事が嬉しかったと述懐している。それほどまでに拓郎は、孤独で心痛の極みにいたことがあらためてわかる。

 そして、隠遁していた御大が人前に姿を現したのは、その年75年の年末、恒例のユイの「来年もよろしくコンサート」の出演だった。私はその場にはいなかったが、朝日新聞に小さな記事が出ていたのを覚えている。
 「長らく休んでいた吉田拓郎が登場すると会場は大喝采で迎えたが、それとはうらはらに会場には重苦しい「水無し川」の歌声が流れた・・」。 その頃の御大の傷心と「水無し川」がしっかりと結びついているのがわかる。
 というわけで、ムッシュのバージョンは、「都会で何とか一旗揚げてやるぜ」というアグレッシブな明るい雰囲気があるのに対して、拓郎のバージョンは、全てを失いボロボロになって追われて旅立っていくような孤独と悲しみに満ちたバージョンになっているのではないか。拓郎はこの作品の中で、「今はこらえろ愛しい君よ、ああ人生は回り舞台だ」「吹雪の後に春の陽射しが花に酔ったらその時泣こう」この部分が特に好きだと語っていたが、この時の置かれていた状況と無関係ではあるまい。

 その後、ライブでは、アローンツアーの一部の会場で披露されたがこの時も美しくも哀愁に満ちたバージョンだった。大転換したのは、感度良好ナイトツアーの際に、外人バンドの演奏で披露された時だ。ムッシュ・バージョンの瀬尾一三による陽気なアレンジで陽性で歌われた。キーがキツクて「君を温め愛せもしない」のサビをコーラスに丸投げしててチョイ残念だったが。あの時の孤独の心痛と結びついていた歌が、ようやく陽転し、吹雪のあとの春の陽射しが差してきたような清々しい想いで聴いた。

    そんなこんなを思いつつ、この名曲に酔いたい。

 余談だが、75年当時、拓郎は「『水無し川』を最後に他人のために曲は提供しない」と宣言して、幼かった私はそれも凄くショックだったのを憶えている。しかし、すぐに木之内みどりに作品を書いて「木之内みどりは可愛かったなぁぁぁ」とか放言していて、ヒドイ人だなと思ったことも書いておこう。 

2015.11/9