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未来

1977年
作詞 吉田拓郎 作曲 吉田拓郎
アルバム「大いなる人」

歌う新婚社長と詞を読むギタリストの紡ぐ愛の歌

 1977年11月発売のアルバム「大いなる人」。御大自ら、評判が芳しくなかったと自認するアルバムでもある(断じてクオリティが低いと言うことではない)。そのアルバムの地味な存在感と相俟って、きっとこの作品は、国民の大多数が知らないか、あるいは忘れているかのどちらかであるに違いない。「吉田拓郎の地味な歌コンテスト」通称「地味コン」では、おそらくかなり上位にランキングすることに間違いない。
 しかし、しかしだ。もう一度よく聴いてみよう。詞、メロディー、演奏そしてボーカルとどれにもマイナス要素がない・・というより素晴らしい。美しくも堂々たる逸品であり、広く世間一般にもとっつきやすい普遍性がある。かつて学生時代、クラスにいなかっただろうか。普通に目立たない生徒だったのに、後になってから思うと実はとてもイケテた男子、とても美しかった女子生徒。往々にして卒業してから気づくことが多い。って、何の話だよ。
 これからの未来を見つめながら結ばれる二人の生粋のラブソングである。時期的に、浅田美代子がモデルではないか。傾いたフォーライフのことや世間のバッシングことなど、いろいろ厳しい状況でのパートナーとの新しい出発。そこに惜しみなく愛を注ぐ優しさを感じる。甘く美しい御大の詞だ。
 特に素晴らしいのは、「揺れる黒い髪は 素肌に冷たい褥(しとね)」というフレーズだ。古典文学に記されたような、かくも耽美でかくもエロティックな名フレーズを御大が書いたところが素晴らしい。美しい絵画を観ているかのようだ。そして、それ言葉を大きく包み込み、たゆとうようなスケール感のあるメロディーも完璧だ。
 アレンジも素晴らしい。このアルバムのプロモーションの時、拓郎が再三力説していたのは、鈴木茂はアレンジするときに、必ず詞を熟読するということだった。その姿勢が素晴らしいと感激していた。コレは暗に、OKは、詞を読まないということなのか。ともかく詞を熟読玩味したアレンジと演奏がこれだというのは頷ける。成熟と壮大感というのがあてはまる素晴らしいアレンジだ。山田秀俊のキーボード(おそらくはメロトロンか)が、まるで教会音楽のような荘厳さで美しく流れる。
 サビに入る直前のドラムとギターがドラマチックな盛り上がりに、エコーのたっぷりかかったボーカルは、かえって夢の中を漂うような質感が出ている。
 こんな作品が忘れられてしまうとは、私たちファンは、いかにラブソングに対する拒否感が強かったかということのひとつの証左ではないか。こんな軟弱な歌ではなくてもっと・・・というファンの思いは、確かに当時の自分にもあった。つくづく御大が気の毒だ。すまん。
 この作品の完成度の高さは、ファンかどうかを離れて、例えば、一般的に結婚式の披露宴とかに流すのにうってつけの作品だという気がする。サウンドも含めて。そこでブライダル関係の仕事をしている知人に、この作品はどうか?と打診してみたことがあった。しかし、素晴らしいうってつけの作品であることは認めつつも、吉田拓郎・・・というところで詰まってしまった。彼が遠まわしに曰く、吉田拓郎とは・・・結婚に熟練しすぎた人ということでお目出度くないらしい。ひー。というわけで、この作品を愛でられるのは、やはり私達しかいないのだ。

2015.11/9