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又逢おうぜ、あばよ

1980年
作詞 岡本おさみ 作曲 吉田拓郎
アルバム「Shangri-la」

最後から二番目の愛

 ロスでのレコーディングの直前に拓郎はラジオ番組で、岡本おさみから届いた「又逢おうぜあばよ」という詞の素晴らしさを興奮気味に語っていた。
 「これが素晴らしい詞でね。曲がパッと出来ちゃって、岡本おさみと僕は縁(えにし)があるんだと思いました」。そして「コンサートの最後にうってつけです。これは『ファミリー』よかイイのではないか。」・・・かくして80年代幕開けの春のコンサートツアーでは、当初フィナーレ候補だった「ファミリー」は中盤に追いやられ、オーラスはこの作品となったのだった。確かにコンサートのフィナーレとして適任の名曲である。
 独断だがこの作品の真髄は何と言ってもココしかない。

   「命断つほどの狂気ではなく 命救うほどのチカラでもないが
    諍いと和みの狭間に 流れて行け 私の歌たちよ」

  拓郎が、ここを高らかに歌い上げる瞬間。吉田拓郎の魅力すべてが、ココに結集、集約するような気がする。実に荘厳なフレーズだ。たまらん。

 実際のコンサートでは、最後に、生演奏とテープが同時進行で、テープの演奏と「又逢おうぜ」のリフレインのコーラスが続きながら、実際のバンドメンバー全員が消えて行くというなかなかトリッキーなラストだった。
 しかし、時代が悪すぎた。つい昨年まで「人間なんて」に燃焼し尽くして終わるライブという至福の経験をしていた私たちにとって、いかに名曲であろうと、これがコンサートの最後ではトテモ物足りない、不完全燃焼に身もだえするしかなかった。当時のラジオ番組ヤングタウンTOKYOの聴取者が電話で参加するコーナーでのこと、聴取者のファンが拓郎に向って「なんだ、あのカラオケみたいなラストは。」とクレームをつけた。ファンに優しい御大は直ぐに「オレの勝手だ、冗談じゃねぇぞバカヤロウ」と暖かく対応したが(汗)、以後、この作品がコンサートツアーで歌われたことはなかった。
 この歌が再び本編ラストに登場したのは、つま恋1985のこと。この時のことは「人に話すんじゃねぇぞ」と御大は言っていたが、さすがにもう30年経ったら時効だ。約束なんて破られるから美しい。「おーーい、みんなぁぁぁ拓郎は『又逢おうぜあばよ』歌って泣いたんだぜぇぇぇぇ」・・って小学生か。ともかく御大にとってはやや不本意な形でメモリアルな瞬間になってしまった。

 そして今。若い頃は、毎年必ずコンサートツアーがあって、時にイベントもあって、それを当然だと思っていた。さすがに今はどうだ。コンサートの間隔は年単位になり、御大も70歳、私たちファンも高齢になってきた。拓郎も病に倒れたことがあるし、たくさんのファンが、天に召されてしまった。「次があること」そして「又逢う」ということがどれだけ切実なことか身に沁みる。今や「又逢おうぜ、そうさ、又逢おうぜ」のフレーズはあまりに深く重い。コンサートの最後に何度でも何度でも確認してその日を終わろうではないか。時代が早すぎたが、今こそこの作品がフィナーレに必要なのではないか。

2015.10/11