uramado-top

まるで孤児のように

1980年
作詞 岡本おさみ 作曲 吉田拓郎
アルバム「アジアの片隅で」

ふたつの街角

 この作品は、名盤「アジアの片隅で」のトップバッターを飾る。いきなりジャマイカなパーカッションが、警鐘のように響きわたり、一歩一歩踏みしめるようなビートで始まる。レゲエスピリットが漲るオープニングの荘厳さにはうってつけだ。うがった見方をすれば、このアルバムの中心曲にしてレゲエの大作「アジアの片隅で」の露払いのような役割があったのではないかと思える。
 岡本おさみの詞は、荒涼としたインフラが佇立する荒れ果てた都会。そこで恋愛をつづける二人のやるせない孤独を孤児になぞらえて歌い込む。映画で言えば核戦争後の殺伐で荒廃とした情景があいそうな切実なラブソングだ。
 この作品を収録したアルバム「アジアの片隅で」は、80年夏に「ローリンク30」と同じ箱根ロックウェルスタジオで制作された。ここでも、ラジオ中継がされ、レコーディングの様子が窺え、「いつも見ていたヒロシマ」と「いくつもの朝がまた」が中途成果物として披露された。  この作品も含めて青山徹の拓郎初アレンジの一作である。毎日、頭を抱えていたようだが、この作品のアレンジは、前記のとおりソリッドでカッコイイし、凝りに凝っている。気合を入れまくっている青山徹の様子が浮かんでくるようだ。
 「街角」でも書いたように、岡本おさみ作詞の「街角」と「まるで孤児のように」は、時期も近く、「恋人同士の都会の孤独」というプロットが重なっている。それは「空に伸びるハイウェイ」「沈んでいく地下鉄(サブウェイ)」というフレーズからも窺える。多分、「街角」の詞がブラッシュアップされて「まるで孤児のように」になったような気がする(もちろんシロウトの推測だが)この作品が公式にアルバムに採用されたし、こちらの方が客観的にこちらの作品の方が楽曲としての完成度が高い。
 しかし、この作品「まるで孤児のように」は、ライブでは演奏されたことはないが、「街角」は、その後も公式盤未収録のまま、ライブで繰り返し演奏された。「街角」を拓郎がかなり気に入っているのがわかる。
 歌のとおり、何だかこの作品は、文字通り取り残された孤児のようだ。もちろんプロットが似ているからといって全く同じ曲ではないし、2曲ともに共存しても全然OK松任谷だ。というよりファンとしては大歓迎である。
 もしかすると「孤児」と言う言葉が、適さないということもあるのだろうか。差別語ではないと思うが、センシティブに取り扱われる言葉であることは確かだ。ペニーレインでバーボン同様、言葉の問題は困難なものがある。「アジアの片隅で」までが、「今はまだ人生を語らず」のような枷を背負わないほしいと願うばかりだ。もしかするとこの作品のスピリットをもこめて御大は、「街角」歌っているのだろうか。下種勘に過ぎないが。ともかく二つの名曲よ永遠なれ。

2015.12/12