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まるで大理石のように

1978年
作詞 松本隆 作曲 吉田拓郎
アルバム「ローリング30」

almost hear his sigh 彼の溜息がすべて

 失礼を承知で言うが、この作品だけをピンポイントで選んで聴く人はどのくらいいるのだろうか。私にとっては、、アルバム「ローリング30」を最初からかけた時に3曲目=「爪」の後、「英雄」の前に聴かされる作品という認識だ。すまん。また、時に「英雄」をピンポイントで聴きたくなってレコードに針を落とす時、僅かに手元がズレると、この曲の最後のバイオリンの後奏を聴いてしまうことになる・・って、もっと失礼だ。しかし、断じて駄曲・凡曲ということではない。3番目というところか大切だ。
 アルバム「ローリング30」は、21曲も新曲が入っており、しかも、殆どが同じ作詞家、作曲は全部御大である。しかし、途中で飽きたり、全部同じ曲に聴こえたりしてしまうことがない。少なくとも私はなかった。そこがこのアルバムの凄いところだ。それぞれの詞・曲・演奏が多彩で表情が異なるからだと思う。  詞でいえば、松本隆が拓郎になりきって書いたという「合体型の詞世界」と「松本隆本来の詞世界」という異なる世界が同居している。そして特に松本隆の詞世界の中にも、はっぴいえんど的仕様の芸術志向の詞世界と歌謡曲仕様のロマンチックな詞世界に別れている。
 そのうえ演奏は、裏街のマリアで書いた通り、「箱根ロックウェルチーム」と「ほぼティンパンアレイチーム」の二つの個性豊かな一流ミュージシャンチームが競演している。これらの全部ないしは一部の順列・組み合わせによって、曲相や表情はかなりのバリエーションが出てくる。
 例えば、アルバム一曲目で、いきなりズドンと砲撃を受けたようなタイトル曲「ローリング30」。まさに拓郎に成りきったマニフェストか檄文のような詞に、重厚なロックウェルチームの演奏そして拓郎は荒くれたボーカルでシャウトする。続く2曲目、爪は、抒情的な松本隆のドラマ的な世界に、泣き出すような感傷的で繊細な演奏があてがわれ、拓郎のボーカルもやわらかくもよく伸びた切ない声で歌い上げる。
 そして、この3曲目はさらにガラリと変わる。魅惑の女性を描きながらも、どこか耽美で低体温な詞世界。「月の灯りを絵筆でといて君は薄絹ひも解いてゆく」なんと美しい言葉。「紫の空、星座は巡り 夢は西へと船を漕ぎだす」もうまごうかたなき詩人の世界である。はっぴいえんどで目指そうとした松本隆の詩世界の独壇場だ。ほぼティンパンアレイな演奏は、ソフィスティケートされた物語の世界に連れ出される。
 ロックウェルチームの演奏が、硬軟のタッチを使い分けた「油絵」とするならば、ティンパンアレイチームの演奏は人工的に作り込んだ「ポップアート」のようなイメージがある。
 そして、おそるべきは、御大は、この三曲目では、彫琢された詞世界、ポップアートのような世界に呼応するようにスタイリッシュなメロディーとボーカルを披露する。この使い分けが天才的に見事だ。
 声質がワイルドなローリング30,抒情的で美しい爪の声とはまた違う。実に乾いた淡々とした声質になっている。そのうえで、甘く切ない巧みな情感をこめて歌の世界を彩る。例えば「まるで大理石のように 冷たくなった」。ここで「つぅーめたく (タメイキ) なぁぁった」タメイキを挿入して鼻にかかった甘めの歌声にブリッジする。この辺の絶妙な歌い回しが際立っている。吉田拓郎が、こんなに繊細でスタイリッシュな歌い方ができるとは、なかなか世間の人は知るまい。かつてNHKのオーディションに落ち、歌ヘタの王様のように言われるが、御大が実はとてつもなく歌の上手い歌手であることを忘れてはならない。
 また全編、特に後演奏に、なだれ打っていくリリカルなバイオリンとの調和がまた素晴らしい。ある意味、拓郎らしくない、だからこそ拓郎はスゴイと云いえる永遠の3曲目だ。そして、ローリング30という名盤は、さまざまな詞世界、ボーカルの色合い、演奏チームが、競作するようにして出来上がっている。曲順も凄く練られている気がする。しょせん思い込みかもしれないが、思い深めて聴き直してみようではないか。

2015.12/12