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まにあうかもしれない

1972年
作詞 吉田拓郎 作曲 吉田拓郎
アルバム「元気です」/アルバム「AGAIN」/アルバム 「TAKURO TOUR 1979」

70年代の吉田拓郎の主題歌であり挿入歌として

 70年代のステージでは欠かせなかった作品のひとつ。拓郎が愛しまたファンからも愛された一作である。75年のつま恋のライブ・フィルムでは、その主題歌として特別に録音されたバージョンが収録された。そういうことから考えるとこれは、「吉田拓郎自身のテーマ曲」ともいうべき存在だったのではないかと思う。
 岡本おさみの詞だけを読むと、内省的で鬱々とした少し暗いつぶやきのようにも感じる。世の中ともうまくいかず、自己嫌悪のスパイラルに陥ってしまった「僕」は、なんとか抜け出そうと焦っている。今だったら自分を捨て去って、少しでもよくなれるかもしれない、もしかすると、まにあうかもしれない・・・なかなか吹っ切れない孤独な格闘の詞に、拓郎が共感したことは間違いない。
 しかしそんな鬱々とした詞に、あてがわれた拓郎のメロディーは、素朴でのどかで明るい。孤独の格闘の先には、明るい陽光が差しているようなあたたかな作品に仕上げている。「まにうかもしれない」という焦りの問いかけに「大丈夫、まにあう、まにあうからさ」とメロディーで答えを出しているような気がする。そして、ウツウツした状況を元気に鼓舞するかのように歌い上げる。
 このあたりが凄くないかい。鬱々とした悩みを大切なものとして抱えながら、そこにあかるい光を当てて、元気に突き進んでいく作品として昇華されているのだ。詞が正、メロディーが反、作品が合というステップになっている。見事な弁証法だ。いみふ。ここに岡本=吉田コンビの天性の素晴らしさがある。
 聴き手も同様。「滅入った気分」「自分を追い込んで」「思っているほど甘くはない」という自分の身にも覚えのあるフレーズながらも、この歌からは「大丈夫だから、まにあうから、進め、進め」と背中を押されるようだ。おそらくは、拓郎自身もこの歌を自分のための「よすが」にしていたのだろうと思う。まさに拓郎のテーマ曲であり、ファンの心のよりどころとして愛されるゆえんである。
 「元気です」収録の、朴訥な歌声に、松任谷正隆のオルガンの音が温かく心地よく流れて行く原曲が基本だが、ステージでは、より元気にノリノリにチア・アップされていく。75年のつま恋の第2ステージで松任谷バンドとの演奏は、ホントにウキウキしてくる。
 ただ、72年ころの静岡駿府会館のステージでの弾き語りによる本人歌唱中に、ザワザワと騒がしい観客に(帰れコールだったのだろうか)、この歌を途中で止め「うるせぇこの野郎」と一喝して観客を制圧するような絶唱で続きを歌ったシーンもあったりした。
 79年のライブでは、軽快なアコーディオンの前奏の途中で、御大が「まにあうかもしれない」とタイトル紹介を叫び、観客が呼応するシーンが残されてる。楽曲本位で考えると、余計なことしおって、山本コータローか南こうせつか!!とうらめしく思っていたが、今となっては、イイものだとしみじみ思うが。
 90年の「176.5」収録の「祭りのあと」に間奏のようにこの作品がインサートされたことがあった。これが、フジテレビの番宣で使われた。「猫が好き」の室井滋ら恩田三姉妹が雪空を見上げている絵のバックに、「まにあうかもしれない」が流れる。あれはいい映像だったなぁ。

 2014年には、「AGAIN」でセルフカバーされ、実に久々に本人歌唱を聴いた。相変わらず派手で元気いっぱいの演奏に「いやぁぁぁ、また、こりゃいっそうお元気そうで」となつかしい人に久しぶりに再会したときのようなあいさつを心の中でした人々も多かったのではないか。今も拓郎のテーマとして生き続けていたことを再び認識させられる。

2015.11/1