uramado-top

舞姫

1978年
作詞 松本隆 作曲 吉田拓郎
シングル「舞姫」/アルバム「TAKURO TOUR 1979」/アルバム「LIFE」

拓郎という運命の糸にひかれて

 1978年の6月にこの作品が発表された時、拓郎は冗談で「秋の芸術祭参加作品です」と紹介した。タイトルも文学調だし、明治大正ロマン風のイントロに導かれた時代色濃い詞。さすがに「瓦斯灯」も「居酒屋で踊っている女」も「寝床に檸檬」も見たことないもんね。一人称で語っている本人は、おそらく貧乏な書生に違いない。松本隆お得意の「赤いハイヒール(太田裕美)」系、つまり「上京して不幸になる美女への下心ありの応援歌」だ。そういうとミもフタないか
 そう思っていても聴きながら物語に引き込まれ、「女の瞳の切っ尖」にシビレ、最後の「舞姫、人は死ぬまで運命という糸にひかれて踊るのさ」のリフレインでは、時代を越えてリアルな共感に至る。このあたりは松本隆の独断場だ。松本隆との共作としては、この年の夏に制作されることになる大作「ローリング30」の嚆矢というか肩慣らしだったのかもしれない。
 後奏の口笛は、拓郎がレコーディング中にふざけて吹いていところ、急遽採用になったとのことだ。この口笛は、主旋律とは異なるメロディー展開が、拓郎の編曲力というか音楽的な才能を魅せる。なのでカラオケで歌うときは、歌い手の責任と思って必ず口笛まで吹くのがファンの矜持というものだ。もちろん同席している一般Pにしてみれば、知らない歌を熱唱し最後に口笛まで吹きまくれば、・・・・ん、きっと人気者になること間違いない。

 B面の「隠恋慕」がテレビドラマの主題歌だったので、販促的にはこちらをA面にというのがスタッフサイドの常道だろうが、「まいひめ」という日本語が美しいからという拓郎の号令一下でA面になった。「隠恋慕」も名曲だっただけに、どうだったのか、そのチョイス。  ジャケット写真は、78年3月のコンサートツアーで突如チリチリパーマをかけて登場し驚かせた時の写真だ。あまりの周囲の笑激反応に、拓郎はチリチリパーマを直ちに落とした。これが世にいう「三日パーマ事件」だ。勝手に名づけさせていただいた。パーマ以前に、そもそもジャケット写真としてもかなり今いちだ。
 だからかシングル的には大ヒットとはいかなかった。若かった私は、ヒマと体力にまかせてあちこちにリクエストハガキを書いたのに残念だったぜ。

 さて、当時、この作品のデモテープをラジオで流したときに、イントロ含めてほぼ完成版そのままで変わらなかったため、拓郎は「な、松任谷くんは何にも仕事してないだろ。もっと仕事してほしいですね。」と悪態をついた。  拓郎の言葉に奮起したからか、79年のコンサートツアー・篠島でのアレンジは、松任谷正隆のこれでもかというキーボードが炸裂する凄いものになった。いつもより余計に弾いていますってな感じで、明治大正ロマンの情緒などはどこかに吹っ飛んでる。しかしこの時ライブ会場全体が松任谷正隆のキーボードに包まれて、その中に作品も拓郎も観客も漂っているといっても過言ではない荘厳な世界だった。松任谷正隆凄いぞ・・と唸ったものだ。かくして原曲とライブ、異質ながらどちらも双璧である。あ、アルバム「LIFE」のリミックスバージョンは顕著に音がクリアな原曲が聴けるっす。

 結局は、すべては「拓郎」という糸にひかれて踊るしかない私たちである。・・・無理やりまとめてどうする。

2015.9/21

 雑誌"GOETHE"のインタビュー(2007年1月)で
「…『舞姫』もそう。女は死のうと言う、男は、オレ、ダメだよ、もっと生きてぇんだよと言う、お前(松本)ならどうする?って話したんだ。それがあんなに切ない詞になった。すごい才能だよ。」
と拓郎は述懐していた。「死にたい女、死ねない男」。このドラマの拓郎版が「俺が愛した馬鹿」ではないかと邪推する。
 最後に君の寝床に置く「檸檬」は、梶井基次郎の「檸檬」からインスパイアされているに違いない。爆弾のような不穏なものではないにしても、言葉に形容できない思いを檸檬にこめて置いてゆく。ものすべて灰色の街のセピアな叙景に、赤い靴とともにこの檸檬だけが鮮やかな色がついているような見事な詞である。
 本文でも書いたが、TOUR79の舞姫のアレンジはすばらしかった。松任谷のキーボードがこれでもかと炸裂し、そこにジェイクのサックスが絶妙に絡んでくる。武道館の照明はブルー一色で、聴いている俺は、キーボードの海の中をゆらゆらと漂っているような陶然とした気分になったものだ。ああ、もう一度観たい、浸りたい、
 2020年の2月のつぶやきで他人の作詞で歌ったみたい歌のひとつに「舞姫」が挙げられた。今もこの作品が拓郎の胸の中生きていることが窺える。静かに待ちたい。

2020.2/15