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街へ

1980年
作詞 吉田拓郎 作曲 吉田拓郎
アルバム「Shangri-la」

吉田拓郎の出ハラジュク記

 新規スタートである80年代の始まりに、拓郎は蜜月が終わった「原宿・表参道」を歌った。上京直後は荒んだ新宿界隈で飲んでいた拓郎は、やがて原宿に流れ着く。歌のとおり、当時は人影のない静かで瀟洒な街だった原宿。夜毎集まる、若き画家、写真家、作家、デザイナー、音楽家といった芸術家の卵たちとともに拓郎はかけがえのない時を過ごすことになる。そして若き拓郎も才能を見出され、やがて原宿に「ペニーレイン」という自分の拠点をも得る。
 そして拓郎にとっても、拓郎見つめる人々にとっても、原宿・表参道は、憧れの街となった。やがて街の活況は栄華を極める。と同時に、溢れかえった人々、華やぐ街は、 それまでの街とは変わってしまい、拓郎らは居心地が悪くなってくる。街との距離が疎遠になっていく。やがて新しい街を求めて、拓郎は再び放浪の旅に出る決意をする。・・・これが、本人も語っていたこの作品のストーリーである。
 この作品で最も印象的でコアとなる部分は、何と言っても
 「時代を変えるのは常に青春で老いた常識よりはるかに強く、例えば嵐に呑み込まれても歴史はそれは見逃さないだろう」という部分だ。拓郎にはあまり似つかわしくない記録文のような文体で綴られた銘フレーズだ。当時の新譜ジャーナルのレコード評では、珍しく冨澤一誠が、この部分を実に見事なフレーズで思わず膝を打ったとかナントカ好評価をしていた。まさに歴史は吉田拓郎を見逃さなかった。広島から東京にコネもバックもなくひとり出て来てマイナーなレコード会社でくすぶっていた「才能」。その才能を時代はこの原宿の街に呼び寄せ、その混沌とした中からきちんと見つけ出した。世の中を変えるほどの才能は、どこにあっても必ずや見つけ出されるものではないかと思う。
 名フレーズではあるものの、あらためてこの作品を聴き直し思うのは、作品の最後のしめくくりの部分の大切さだ。「あなたの人生はいかが?若さはホロ苦いね。時には訪ねておいで会えたら笑顔で迎えよう」という温かなフレーズとともに「変わってしまったのは街だけではないはずさ」と寂しい影を落とす。かつて素晴らしい想い出を共有した昔の恋人を相手とするように街との対話。このしめくくりがないと、ただの若者の立身出世物語で終わってしまう。街が人を迎え、人が街を変え、また街が人を変えて行く。街にも出会いと別れがある。誰もが、そのスパイラルの中を翻弄されながら生きて行かなくてはならない。それから、雨模様の原宿という舞台設定も実に心に沁みる。間違いなく名作である。
 それにしてもこのドラマチックな作品に対して、演奏はどうなんだろうか。レコーディング前にラジオで聴かせてくれた拓郎自作のデモテープでは、まるで海の浪間をゆらゆらと揺れて漂うような寂しさを湛えた演奏で作品にフィットしていたように思う。しかし、ロスでレコーディングした完成版では、ドゥダドゥダーンといきなり砲撃のようなドラムで始まり、叩きつけるようにバシバシとリズムを刻みながら、きっぱりとした乾いたサウンドで演奏が進んでいく。帰国後のライブも完成版ベースとして、結構派手なサウンドで演奏されていた。それも一考なのかもしれないが、こういう作品こそセルフカバーで、思いっきり抒情的な演奏でリメイクして欲しいと勝手を承知で思う。

2015.10/17