uramado-top

Last kiss night

1985年
作詞 岡本おさみ 作曲 吉田拓郎
アルバム「俺が愛した馬鹿」

ポップでロックな時効中断

 82年の新譜ジャーナルに岡本おさみの衝撃的なエッセイが載った(岡本おさみ「うたのことばが聴こえてくる」所収)。「吉田拓郎との十数年の歌作りが終わった」で始まり、「もう終わったのだ・さらば吉田拓郎」で終わる文章は、競作「アジアの片隅で」以降の方向性の違いからその「終結宣言」が記されている。松本隆と一緒に行くなら行け!!という文章にも読める。それは厳しい「絶縁状」であった。こりゃあ大変だぁぁぁと慌てたものだ。
 しかし、その後、83、84年だろうか、同じ雑誌に、吉田拓郎と岡本おさみの対談が2週続けて掲載された。最後に御大が可愛らしく、岡本おさみに対して、「終結とかそういう冷たいこと言わないで」と語り、岡本もこれを拒絶はせずに、緊迫感ある訣別は解消されたようだが、二人に心理的な距離があったことは窺えた。
 そして85年の「俺が愛した馬鹿」には一作だけ岡本おさみの詞が収められる。ここの詞には、岡本おさみの旅の景色も情念も出てこない。もちろん御大の力量でポップなロックに仕上がっていて、ゴキゲン系な一作ではある。
 その対談の時に岡本おさみは御大にこう語りかけた。「僕はこうだ。俺はこうだ。」という一人称ばかりの唄だとスピリット(精神論)のような詞ばかりになって行き詰ってくる。方法論として、自分ではない主人公を措定し、そいつにいろんな体験や冒険をさせるといい、ということを語っていた。それを岡本おさみがお手本としてこの詞でやってみせた気がする。だからあまりこれまでの岡本おさみ色がないのかもしれない。それに加えてこの時の心理的に離れていた二人スタンスがこういう情念の薄いライトな作品を作らせたのかもしれない。

 なお聴き手も、このころは、既に「拓郎引退」という空気も満ちており、よくできた陽性のポップに対しても、だからどうした的な気分しかなかった気がする。そんな抜け殻のような感じが切ない。別に岡本おさみでなくともいいような詞である気もする。実際に10年間、二人の共作は途絶えることになる。この作品は「コンビの解消まではしてませんからね」といというフラグ、いわば時効中断のための一作のようにに思える。そのせいか音楽的にはいい作品だが、どこか空虚だ。ただ、今、歌うとすべての呪縛から解き放たれたポップなナンバーとして蘇生するかもしれない。

2016.4/23