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唇をかみしめて

1982年
作詞 吉田拓郎 作曲 吉田拓郎
シングル「唇をかみしめて」/アルバム「王様達のハイキング」/アルバム「LIFE」/アルバム「一瞬の夏」」

映画のために生まれ、映画を超えゆく魂のスタンダード

 1981年、武田鉄矢は自身の企画・主演の映画「刑事物語」の主題歌の依頼のために拓郎のもとに日参する。「どうしてもあなたの声が必要なんです」「オレに子分になれというのか?」「顔の悪い奴に曲は書かない」などとツレない拓郎。渋々引き受けてからも、打ち合わせはいつもただの飲み会。作品を創っている気配が無く、焦り始める武田。もう期限切れというとある日の打ち合わせを、よりによってドタキャンした拓郎。
 こりゃだめだと失望しかけた武田の前に、渋谷マネージャーが一枚の紙をもって現れる。「詞はこれです」・・・拓郎の自筆で「唇をかみしめて」と題する詞。武田はテーブルで一人何度も何度も詞を読み返し、感動のあまり涙が止まらなかったと述懐する。
 ともかく好き嫌いは別にして武田鉄矢なくしてこの曲はなかった。
 夕暮れの突堤を失意で歩く男の姿の遠景。そこに突然アカペラで「ええ加減な奴じゃけ~」と拓郎のザラついた歌声が入る映画バージョンは鮮烈で大成功だった。映画としての出来はわからないが。映画死すとも主題歌死なず、って失礼だろ。ベストCDにだけ収録されている当初レコーディングされていた別テイクのシンプルなバージョンもいい。
 しかし何よりズシンという砲撃のようなドラムとともにギターがうねるようなイントロで始まるシングル盤こそベストか。A面だけのシングルで「俺には裏が無い」というキャッチコピーも話題になった。アレンジの拓郎と青山徹の「広島二人組」。通常はミュージシャンを記載しないシングルのジャケットにもかかわらず、「ギター青山徹」と珍しく記されている。このギターが自分だったことを残してほしいと青山徹が拓郎に懇願したためだという。彼にとっても大切な一曲だったのだろう。
 この切ない詞は、実は金沢事件の相手へのメッセージではないかという話をファンから聞いたことがある。だったら凄いが、確かめようがない。しかし、どうしようもない悲痛な思いを味わったものだけが書ける言葉であることは確かだ。絶望の淵に沈みつつも、それでも「人」と「人の営み」に共感する心を捨てない。
 「ほっといてくれんさい」と一人孤高を囲いながら、最後の「心が寒すぎて旅にも出れなんだ あんたは行きんさい 遠くへ行きんさい 何もなかったんじゃけん」のフレーズ。ここで歌声、メロディー、演奏が、一束になり、うねるような波になって盛り上り、聴く者の胸をしめつける。映画以上のドラマを感じさせる。
 「人がそこにいる」「人が生きている」この極めてシンプルな詞を、ここまで深みと切実な情感をもって聴かせる説得力こそ拓郎の真骨頂だと思う。
 映画主題歌ということもあってか、ファンに限らず、この曲を支持する人々は多い。吉田拓郎による「魂のスタンダード」と言ってもいいだろう。何よりも「奥田民生」と「中島みゆき」の二人の神シンガーがカバーしていることが幾万もの援軍を得たかのように心強い。アプローチは違うが、どちらも大切にこの歌を愛でていてくれている。これもファンとしての至福のひとつだ。

2015.5/4